こんにちは。
今日はふと考えた、「自分にやさしく」というテーマについて書きます。
自分をどう評価しますか「自己肯定感」
昨今、「自己肯定感」という言葉をとてもよく耳にします。
自己肯定感とは、自分が自分自身のことをどう評価するかや、自信の高さなどです。
自己肯定感が高い人は、自分を価値ある存在と認め、能力や特質を肯定的(ポジティブ)に捉えます。
一方、自己肯定感が低い人は、自分を否定的に捉えがちで、自分の価値を疑う傾向が強いです。
私は自己肯定感は低くて、他の人に出来て自分のできないことに強くコンプレックスを抱くことが大きなストレスになっていました。
具体的には、人前で自信をもってすらすらと流暢にスピーチや発表が出来る人がうらやましく、あがり症で話そうと思っていたことも飛んでしまう自分がとてもみじめに感じていました。
また、精神疾患を患って、就活や学業がうまくいかなくなってしまった事も、当時はとても苦しく、健康な人と違って自分はダメだという思いがあったりもしました。
そんな時期がありましたが、今では、自己肯定感が以前よりも高まっているように思います。
どうしてそうなれたのかと考えてみました。
着眼点の転換「いいとこ探し」
一番自己肯定感を高めることができたきっかけは、「自分のいいとこ探し」が出来ていることかなと思います。
現在でも、私はあがり症で人前で自信をもって話すことは苦手です。
苦手を克服したいという気持ちはありますが、苦手の反対の得意なことに目を向けてあげることが出来ています。
人前でアドリブで話すのは苦手「だけれど」、一対一のやり取りで考える時間さえあれば、いろいろな視点から、物事について意見が言えるところが私の得意なことだと気づきました。
また、精神疾患を患ってしまった、「けれども」こころの調子を整えることの大切さに気付くことが出来て、仲間に向けて発信もできるようになっています。
「だけれど」、「けれども」と、括弧を付け強調しましたが、これが着眼点の転換です。
「私なんて〇〇でダメだ」と思ったときには、「だけど!」と自分のいいとこ探しをしてみるとよいかもしれません。
自分のいいとこなんて見つからないよという人もいるかもしれません。
私は気づきました。
いいとこ探し「自分は最も近い友達」
幼いころから友達とうまくやるにはどうしたらいいか。
誰しも工夫したり、悩んだりしてきたと思います。
また、社会に出れば、友達だけでなく、いろんな人と関係性を上手く保つことが必要とされますよね。
例えば、学校では毎日嫌いな先生のいるクラスに登校しなければいけないし、会社では、好きでも嫌いでも上司の指示には基本的には従わなければいけません。
そんな時って、皆さん、相手の嫌なところではなく、いいところを見るようにしてうまく関係を保とうとしませんか。
「あの上司はいきなり思い付きで色々やれと言ってくる。だけど、部下の話は真摯に聞いてくれるよな。」などという風に。
それと同じで、自分自身に対しても、自己肯定感を高めて、うまく付き合うためにいいとこ探しをしてみるのがいいと思います。
自分自身というのは、いつ何時も離れたくても離れられないものです。
最高の友達になれるように、自分のいいとこ探しをしてみて下さい。
自分にやさしく
タイトルの「自分にやさしく」。
ここまで書いて、なんとなくイメージが付きました。
自分にやさしくするとは、自分を甘やかすことではなく、自分を肯定的に捉えることなのかなと思います。
自分の嫌なところもあるけれども、いいところに目を向けてあげる。
それが自分にやさしくすることなのかなと思います。
ストイックな人ほど、自分に厳しく、こんなんじゃだめだ!と自分を肯定できず苦しんでしまうことが多いのではないかと思います。
自分も友達と思ってやさしくしてみてはいかがでしょうか。
人にやさしく
人に厳しい人は自分にも厳しいことがあると思います。
他人に対する思いやりの気持ちや、他人のいいところを見る癖がつけば、自分にもやさしくできるようになるかなと思います。
ガンディは
「他人のために生きることは、結局、自分のために生きることになる」
と言っています。
この言葉にも
「人にやさしく、人のために行動することが、自分にやさしくなれる方法だよ」
という意味合いが含まれているように思えるのです。
まとめ
今日は自分にやさしくすることについて考えました。
自己肯定感を高めるにはいいとこ探しがポイントだと感じます。
自分を一番近い友達だと思っていいとこ探しをしてよい関係を築けるといいと思います。
人に対してもやさしくすることも自分のことを認めてあげるポイントかなと思います。
自分にやさしく、自分を肯定して、より充実した日々を過ごせるようにしていきたいです。
皆さんも、自分のいいとこ探ししてみませんか。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。