何かに一生懸命取り組んだのに、望んだような結果が得られなかったとき。
「がんばったのに、意味がなかったんじゃないか」
そんなふうに感じてしまうこと、ありませんか?
とくに、精神疾患のリカバリーという長い道のりを歩んでいる人にとっては、
日々の小さな行動や変化の積み重ねが、すぐには結果として表れないことも多く、
「何も変わっていない」「こんなに努力しているのに」と落ち込んでしまうこともあるかもしれません。
そんなときこそ、結果にとらわれすぎない「因果の捉え方」が大切になります。
今回は、自分の努力をやさしく見つめ直す視点を、一緒に探してみませんか?
因果関係を結びたくなる私たちの心
人は、「原因と結果」が結びついていたほうが安心できる生き物です。
- 成功した → 自分のやり方が正しかった
- 失敗した → 何かが間違っていた
こう考えると、自分にも改善の余地があるように思えて前向きになれる一方で、
裏を返せば「うまくいかなかったのは自分の努力が足りなかったせい」と、
必要以上に自分を責めてしまうことにもつながります。
でも、実際の世の中はもっと複雑です。
自分の努力だけでは変えられないもの――
たとえばタイミング、相手の状況、季節や体調など――
そうした外的な要因もたくさんあります。
結果に直結しなかったからといって、
努力自体が無意味だったわけではないということを、どうか忘れないでください。
リカバリーの道のりは「見えにくい努力」の積み重ね
精神疾患を抱えながら日々を過ごすことは、それだけで大きな挑戦です。
外から見れば「当たり前」に思えることも、本人にとっては必死の一歩だったりします。
- 今日、起き上がれた
- 病院に行けた
- 誰かに「つらい」と言えた
- 外に出て、少しだけ日差しを浴びた
これらは一つひとつが、回復に向かうプロセスそのものです。
でも、その日すぐに「成果」や「変化」が見えなかったりすると、
自分のしてきたことを「意味がなかった」と感じてしまうかもしれません。
そんなときは、「うまくいかなかったのは誰のせいか」を考えるよりも、
「その努力に、どんな意味があったか」を自分の言葉で問い直してみることが大切です。
努力の“良し悪し”ではなく、“意味”を見つける
努力とは、「成果を出すためだけ」にするものではありません。
「自分がどうありたいか」「どう生きたいか」に向かう、意思の表れでもあるのです。
- 誰かに会えなかった日でも、連絡を送ろうとしたあなたの気持ち
- 外に出られなかった日でも、窓の外に目を向けたあなたの感受性
- 休むことを選んだあなたの判断
それらにはすべて、意味があります。
見える形で結果にならなかったとしても、
その努力があなたの心のどこかを動かし、
未来の「次の一歩」につながっているかもしれません。
今日はできなかった」と感じる日も、あなたは歩いている
リカバリーの道は、直線ではありません。
良くなったり、また調子を崩したり、その繰り返しです。
だからこそ、停滞しているように思える日も、
その人なりのリズムで“必要な時間”を過ごしているのです。
何もできなかったと感じた日にも、
自分をいたわる選択ができたこと、
無理をしなかったこと、
そのこと自体が大切な前進です。
プロセスに、やさしい眼差しを
結果は一つの通過点に過ぎません。
むしろ、そこに至るまでのプロセスの中にこそ、
あなたという人の価値や魅力が息づいています。
「がんばったのに報われなかった」と感じる日があっても、
そのがんばりはきっと、あなたの中に何かを残しているはずです。
そして、それは目には見えなくても、あなたの回復の土台になっていくのだと思います。
だからこそ――
どうか今日の自分に「よくやったね」と、やさしく声をかけてあげてください。
あなたの努力は、ちゃんと意味がありました。
あなたが歩んできた道は、ちゃんと価値ある道でした。
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