人の心は、いつだって揺らいでいる。
たった今考えていたことが、数分後にはもう違って見えたり。
優しくあろうと思ったのに、つい厳しい言葉を投げてしまったり。
そんな自分に戸惑いながら、「これが本当の自分なのか?」と問いかける。
でも、私は思うのです。
揺らぎは、人として生きている証だと。
どんなに軸を持って生きていたとしても、私たちは日々の出来事や感情の波の中で、少しずつ揺れ動く。
だけど、その揺らぎを平均してみたとき――
そこに立ち現れる“中心線”のようなものが、自分の実際の価値観の軸なのではないかと思うのです。
たとえば、私は「誠実でありたい」と願っています。
だけど、常に誠実でいられるわけではない。
時に逃げたくなることもあるし、見栄を張ってしまうこともある。
けれど、そうした日々を重ねていくうちに、ふと気づくのです。
「ああ、私はやっぱり誠実であることに戻りたくなるんだ」と。
この「戻りたくなる場所」が、揺らぎを平均して見えてくる“実際の軸”なのかもしれません。
でも、ここで大切なのは、その実際の軸と、自分が理想とする軸とのズレに気づけるかどうかです。
理想では「もっと寛容でありたい」「もっと勇気を持って行動したい」と思っていても、
実際に揺らぎを積み重ねた結果として見えてくる自分の軸は、
もしかしたら「安全を選びがち」「他人の目を気にしすぎる」といった別のものかもしれない。
このズレに目をそらさず、自分自身に正直でいられるか。
そこに、自分を深く理解し、整えていくための鍵があるように思うのです。
ズレに気づけるということは、理想を持っているということ。
そして、そのズレを埋めていこうとする意志が、人生に方向性と意味を与えてくれます。
極端に正しさを求めすぎても、逆に無理にすべてを受け入れようとしても、どこかで自分が疲れてしまう。
だからこそ私は、どちらにも偏らず、間に立つという態度――中道的なまなざしが大切なのではないかと思うのです。
白でも黒でもない、その間にある無数のグレーを見つめながら、揺らぎを認め、整えていく。
そのニュートラルな姿勢が、自分自身の軸を少しずつ育ててくれるのだと感じます。
人は誰しも揺らぎながら生きている。
だけど、その揺らぎの平均が描く“今の自分の軸”と、
「本当はこうありたい」と願う理想の軸とを照らし合わせながら――
私は、少しずつでも自分の理想に近づいていけたらと思うのです。
mayoiさん コメント頂きとっても嬉しいです。 関係性の中で、お互いが自分も相…