人の先頭に立つということは、想像以上に孤独を感じるものです。
誰もがついてきてくれるとは限りませんし、最初のうちは、むしろ誰も振り向いてくれないかもしれません。
自分の中で確信していることが、なかなか他の人に伝わらなかったり、
「ひとりで勝手にやっている人」として、浮いた存在になってしまったりすることもあります。
そんなとき、ふと問いが浮かびます。
「自分のやっていることに、本当に意味があるのだろうか」と。
でも私は、こう思います。
成果というものは、すぐに見えるとは限りません。
それは“まだ見えない果実”なのだと。
土を耕し、種をまき、水をやる。
誰に見られていなくても、自分にしかわからない手応えがあります。
たしかに“そこにある何か”を信じられるから、毎日手をかけることができるのだと思います。
けれども、芽が出ない日が続けば、不安になります。
周りの畑は青々と茂っているのに、自分の場所だけが土のままに見えると、
どこか置いていかれたような気持ちになることもあるでしょう。
それでも、「今は根を張っているときかもしれない」と思えるかどうか。
見えない成長を、自分だけでも信じてあげられるかどうか。
そこに、続ける力の源があるのではないでしょうか。
そして、もうひとつ大切にしたいことがあります。
仲間とは、“ついてくる”存在ではなく、
自分の覚悟の深さに出会う存在なのだと思います。
誰かに「ついてきてほしい」と願うとき、
そこには、「ひとりでは不安だ」という気持ちが潜んでいることもあります。
けれど、リーダーシップとは、誰かの前に立つことではなく、
自分の真ん中にある願いや想いに対して、誠実であることなのではないでしょうか。
その姿に心を動かされ、
「私も一緒にやってみたい」と思ってくれる人が、あとから現れます。
それは“引き寄せる”というより、“出会う”に近い感覚です。
たとえば、学校で「何して遊ぼうか」と提案しても、
誰も賛成してくれなかったとき、
「自分は周りから評価されていないのでは」と、不安になることがあるかもしれません。
でも、そこでがっかりしてやめてしまうのではなく、
たとえ少人数でも、その遊びを本気で楽しんでいる姿があれば、
きっと「私もまぜて」と言ってくれる人が、自然と現れてくるものです。
リーダーシップも、それとよく似ていると思います。
無理に誰かを動かすのではなく、自分が心からやりたいことを楽しみながら続けている姿にこそ、
人は惹かれるのだと思います。
成果も仲間も、時間がかかるものです。
でも、時間をかけて育まれたものは、案外しぶとく、長く残ります。
だから、あわてなくてもいいのかもしれません。
たとえ評価されなくても、実績がまだ見えなくても、
あなたが今耕している場所には、きっと何かが芽吹く兆しがあると、私は信じたいです。
そして、いつか果実が実ったとき、
きっとこう思えるのではないでしょうか。
「あのとき、信じていてよかった。」
「一緒にいてくれる人が、こんなにも尊い存在だったなんて。」
目には見えなくても、今日もたしかに、何かが育っています。
そのことを、忘れないでください。
mayoiさん コメント頂きとっても嬉しいです。 関係性の中で、お互いが自分も相…