希望という言葉に、まぶしさを感じたとき
「希望を持ってください」
「きっと、よくなりますよ」
「小さな目標でもいいんです」
そう言ってもらえることは、本来、ありがたいことのはずです。
けれど、心が弱りきっているときや、もう何も信じられないと感じているとき、こうした言葉がむしろ重く、遠く感じられることがあります。
私は、リカバリーについて語る中で、「自分なりの希望を見つけることが出発点になる」と書いてきました。それは決して、
「希望を持たなければ前に進めない」
と伝えたかったわけではありません。むしろ、
「他人の期待ではなく、自分自身の言葉で希望を見つけていいんだ」
と伝えたかったのです。
けれど今、ふと立ち止まって考えることがあります。
たとえ「自分なりの」と添えていても、「希望を見つけることがスタートです」と言い切ってしまうことが、読む人によってはプレッシャーになったり、「今の自分はダメなんだ」と感じさせてしまったりするかもしれない。
それはもしかすると、「希望」を信じられない状態にある方にとって、優しさではなく痛みになってしまうこともあるのではないか。
そう感じることが、あります。
「希望を語れない」ということも、リカバリーの一部
「希望を語れない」という状態は、けっして珍しいものではありません。
むしろ、リカバリーのどこかの段階で、多くの人が通るものだと思います。
何も望めない。
何も期待できない。
明日が来ることさえ、つらい。
そんな日々の中で、「小さな希望を探してみて」と言われると、自分だけが取り残されたような気持ちになることもあるのです。
私は、そうした状態にある方のそばに、「無理に希望を見つけなくてもいいですよ」と伝えたいと思っています。
たとえ何も望めなくても、それでも、あなたはもう十分がんばっています。
あなたが今、どんな場所に立っていようと、あなたのリカバリーの道は、もう始まっているのです。
無理に希望を探さなくていい
希望は、無理やり見つけるものではありません。
無理に引き出されるものでもありません。
ただ、ふとした瞬間に、「あれ……?」と心が少しだけ動くことがあります。
それがあとになって、「あれは小さな希望だったのかもしれない」と思える日が来ることもあります。
だから私は、こうも言いたいのです。
「もし、あなたが何も望めないと感じていたとしても、それは、希望を語れないあなたが悪いのではなく、希望を語るにはまだ時間が必要なだけなんですよ」と。
希望を押しつけられたくないと感じることも、
「希望なんて持ちたくない」と反発したくなる気持ちも、
そのすべてが、あなたらしさの一部であり、大切にされてよいものです。
一緒にいることから始まるリカバリー
リカバリーとは、何かに向かって急いで進むことではありません。
今いる場所で、踏みとどまって、自分の感覚やつらさに気づくこと、
そして、そうした気持ちを否定されずに受けとめてもらえることから、
少しずつ始まっていくものだと私は信じています。
もしあなたがいつか、自分なりの言葉で、
「実は、こんなふうに感じていたんだ」と語ってみたくなったとしたら、
そのとき私は、その言葉に静かに耳を傾けたいと思っています。
希望は、誰かのためではなく、あなた自身の輪郭に
あなたの言葉を、誰かの希望にする必要なんてありません。
それがただのつぶやきでも、弱音でも、意味のないように思える言葉でも、
あなたが感じたことなら、それだけで尊いのです。
誰かを勇気づけるために語らなくてもいいのです。
言葉は、誰かの役に立たなくても、
あなた自身の輪郭を確かめるための道具になることがあります。
だから私は今、希望を語れないそのつらさに、そっと寄り添いたいと思っています。
あなたが、希望を語らない日々も含めて、あなたの物語は確かに続いているのだということを、心から信じています。
サトシさん コメントありがとうございます。 こちらこそいつもありがとうございます…