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言葉の裏側に触れるとき

言葉の裏側というものは、本当にあるのでしょうか。
先日、ある人から「この人の話が聞きたい!!」と強く言われたとき、私はなぜか、その言葉の熱意の裏に、「あなたたちの話は聞きたくない」という感情が含まれているように感じてしまいました。
もちろん、表向きの意味としては、そのまま「この人の話を聞きたい」ということでしょうし、実際、そう受け取るのが自然なのかもしれません。

けれど、言葉というものは、表に見えている意味だけでは完結しないものだと思います。
その奥には、意図や感情、立場、関係性、さらには無意識の動きなどが複雑に絡み合っていて、私たちはそこに何かを感じ取ってしまうのです。

表側と裏側のあわいで

言葉には「表側」と「裏側」があると言われます。
「表側」は、そのままの意味として受け取れる部分です。「ありがとう」「大丈夫?」「この人の話が聞きたい」――こうした言葉は、単体では明確な意味を持っています。

しかし、それを発した人がどういう気持ちで言ったのか、どういう場面で言われたのか、聞き手との関係はどうなのかといった背景によって、その意味は大きく変わってしまいます。
表側の意味すら、人によって感じ方が異なるのだと気づいたとき、私は少し怖くなりました。自分が思っている「表側」は、本当に相手と共有できているのだろうか、と。

言葉というものは、それほどにあやふやで、でもだからこそ奥深いものなのだと感じます。

わかろうとしながら、わかろうとしない営み

私は今、「わかろうとしながら、わかろうとしない営み」について本を書こうと決めています。
この逆説的な言葉は、私自身の実感から生まれたものです。

私たちは、言葉を通して相手を「わかろう」とします。けれど、同時にどこかで、「わかりきってしまいたくない」とも思っているのではないでしょうか。
完全に理解してしまうことは、相手を決めつけ、閉じ込めてしまうことでもあります。
だからこそ、「わかろうとする」と「わかろうとしない」のあいだで揺れながら、理解しようとすること――その営みが、人と人との関係を支えてくれるのだと思います。

他者を理解しようと努めながらも、わからなさを手放さずにいる。
その不安定な姿勢こそが、言葉を丁寧に扱うということではないでしょうか。

言葉に宿るもの

丁寧に言葉を扱うというのは、言葉に宿る「見えないもの」にも目を向けるということです。
それは、単なる意味の理解にとどまらず、その言葉がどういう関係性の中で発されたのか、どんな気持ちがそこに込められていたのか、そして自分はどのようにそれを受け取ったのか――そうしたことすべてに対して、誠実であろうとする姿勢なのだと思います。

言葉の裏側を「疑う」のではなく、「感じ取ろうとする」こと。
そして、自分の中に浮かぶ解釈に対しても、即断せずに一度立ち止まってみること。

私は、そうやって言葉と向き合っていきたいです。
たとえすれ違いや誤解が起きたとしても、「わかろうとするけれど、わかりきらないでいよう」とする態度を持ち続けたいのです。

言葉を信じるということ

言葉の表側も裏側も、どちらも絶対ではありません。
だからこそ私たちは、その不確かさの中にとどまりながら、わかろうとする営みを続けていくのだと思います。

それは、相手のことを信じようとすることでもあり、自分の感じたことを信じすぎないということでもあります。
矛盾するようですが、そのあわいにこそ、人と人とのまっすぐな出会いがあるように思います。

言葉を信じたい。
でも、信じるとは、無条件に受け入れることではなく、揺れの中で耳を澄ますことなのだと、私は感じています。

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