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灯りとしての意志──燃え尽きないための、小さな歩み

モチベーションが見つからないとき

「もっと優しくなろう」
「前に進まなきゃ」
「こんな自分ではダメだ」

そんな思いに包まれているとき、私たちは、ある種の熱を帯びています。
それは“情熱”と呼ぶにはあまりにも切実で、
“希望”と呼ぶには少し苦しげなものです。

目の前には、果てしなく続く道が見えることがあります。
けれど、その全体像を見れば見るほど、足がすくんでしまいます。
「今の自分には無理だ」と思ってしまい、
そしてまた、その自分を責めてしまうのです。

ベッポの掃除と「ひとつずつ」の知恵

あるとき、ふと読んだ物語の中に、静かな老人が登場していました。
道路掃除夫のベッポという名前です。

彼は、長い通りを掃除するとき、こう語ります。

「通り全体のことなんて考えたらだめだよ。
次の一歩、次の息、次のほうきのひと掃き、それだけに集中するんだ。
そうすれば、気がついたら道はきれいになっている。」

この言葉は、「やる気が出ないと動けない」と思い込んでいた心に、
そっと染み入ってきました。

モチベーションに頼らないという選択

モチベーションという言葉は、ときに人を励まします。
けれど、その言葉にしがみついてしまうと、
「やる気が出ない自分はダメだ」と感じてしまうこともあります。

そうではなく、
「モチベーションがなくても、できることはある」
そんな気づきは、どこか仏教的でもあります。

たとえば、「優しくなろう」と努力することさえも、
ときに自分を追い詰める“べき”に変わります。
それよりも、「優しくなりたいと思っている自分がいるな」と、
ただ気づいてあげることができたら、それでいいのかもしれません。

評価せず、正当化せず、否定もせず、
「ああ、自分はいま、そう感じているんだな」と認めてみる。
それだけでも、心の緊張がふっとゆるむ瞬間があります。

熱を灯りに変えていくということ

「どうしても人生に熱を帯びてしまう」
そんな気質を持つ人もいます。
その熱はとても美しいもので、何度でも立ち上がろうとする意志に満ちています。
けれど、あまりにも熱くなりすぎると、自分自身を焼き尽くしてしまうこともあるのです。

もし、その熱を“火”ではなく、“灯り”に変えることができたらどうでしょうか。

燃え上がるのではなく、静かに、長く、心の奥を照らし続けるような灯り。
情熱というよりは、慈しみに近い光です。
その灯りは、「モチベーション」ではなく、「小さな意志」から生まれます。

ひと掃き。
ひと呼吸。
ひとつの問いに耳をすますこと。
それらはすべて、灯りをともす行為なのだと思います。

静かに進む、その先で

「このままの自分でも、今はここにいていい」
そう思えたとき、私たちは燃え尽きずに、生きていくことができます。
そして、静かに進んでいくその先に、
かつて求めていた“前進”が、気づけばちゃんと形になっていることもあります。

熱くなくても、やれることはあります。
熱がないからこそ、見えてくる風景もあります。
そんな生き方があっても、きっといいのだと思います。

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