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「闘病」とは、自分と闘うこと?――精神疾患と向き合うということ

はじめに:脳の病か、心の病か

精神疾患は脳の病気です。これは正しい。精神疾患は心の病気です。これも正しい。
では、心はどこにあるのでしょうか。脳にある。それも正しい。心臓にある。これもまた正しい。

こうして見ると、精神疾患という言葉は、脳と心という複数の次元にまたがっています。そこには曖昧さや不確実さがつきまといます。けれども、だからこそ「どれも正しい」と納得して受け止める姿勢も、大切な柔らかさのひとつかもしれません。

「闘病」という言葉に感じた違和感

「闘病生活」。それは「病と闘うこと」。確かに、そう言える場面はあるでしょう。
多くの人が、さまざまな病気と日々向き合い、闘っています。
けれども、「精神疾患との闘病」について考えたとき、私はふと立ち止まりました。

精神疾患は、脳や心の不調によって、精神に異常をきたした状態とされています。
だとすれば、「脳や心の病と闘う」というのは、もしかして――「自分自身と闘う」ということになってしまうのではないか?

そう思ったとき、私は言葉に戸惑いを覚えました。

頑張ることと、追い詰めることのあいだで

「闘病生活、頑張ったね」。そう言われると、たしかにねぎらいとして受け取れます。
でも、「これから闘病生活を頑張ります。絶対に治してみせます」という言葉には、少しだけ心配を感じてしまうのです。

その人が、自分の心と闘おうとしているように思えてしまうからです。
自分の内面を敵と見なしてしまうと、回復の道のりが「自分自身を否定する闘い」になってしまうかもしれません。
それはとても苦しいことです。

闘うより、共に生きるという選択肢

もちろん、精神疾患との向き合いに「闘い」の比喩が合う場面もあります。
でも、もし言葉が自分を縛るように感じるなら、「闘う」以外の表現を選んでもいいのです。

たとえば、
「病とともに生きる」
「病と対話しながら歩く」
「心と手を取り合って生き直す」

そんなふうに、自分自身を敵にせず、味方にしてあげる言葉もあっていい。
そのほうが、回復の旅は、もう少し優しいものになるかもしれません。

おわりに

言葉は力になります。でも時に、その力が自分を追い詰めることもあります。
だからこそ、「闘病」という言葉の裏にある、その人なりの物語に目を向けてみたいと思うのです。
そして、あなた自身がどんな言葉で自分を語りたいか――その選択を、大切にしてほしいのです。

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