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「本来の自分」という言葉に感じた違和感

先日、お友達が「本来の僕なら……」と口にされました。
その瞬間、私は胸の奥に小さな引っかかりを覚えました。

「本来の自分」とは何でしょうか。
病気を発症する前の私が“本来の私”で、今の私は仮の姿なのでしょうか。
病気が治れば、過去のその姿に戻れるのでしょうか。

変わり続ける私という存在

私は「諸行無常」という言葉に深くうなずく者です。
すべては常に変化し、同じ状態にとどまることはありません。
今日の私は昨日と同じではなく、明日の私もまた今日と同じではない。

そう思うと、過去のある一点を切り取って「これが本来だ」と決めてしまうことは、かえって自分を苦しめるように感じます。

幻想かもしれない「本来の自分」

今この瞬間を生きている私こそが、私の本質なのかもしれません。
そう考えると、「本来の自分」というものは幻想にも思えます。

けれど、日常の中で「普段の自分」を「本来の自分」と呼びたくなることはあります。
たとえば、かつての価値観や軸から大きく離れたとき、「本来の僕なら……」という言葉が口をついて出ることもあるでしょう。
それは、自分らしさを確かめたいという心の動きなのかもしれません。

今を受け入れられるように

今回のやりとりは、私に多くのことを考えさせました。
そして最後に願うのは、彼が今の自分を、ありのままの姿を、そっと受け入れられるようになることです。

変わり続ける自分を、その瞬間ごとに認めていく。
それが、生きるということの静かな力なのだと思います。

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