「対等だから気を遣わないで」と言われたという話
「対等だから気を遣わないで」と言われた、という話を聴きました。
そのとき、私はふと考えさせられました。
対等だからこそ、お互いに気を遣い合うことが大切ではないかと、私は感じたのです。
気を遣うと言うと、遠慮したり、我慢したりすることのように思われがちですが、
私が思う「気遣い」は、相手を大切に思う心そのものです。
そもそも「対等」とは?
改めて考えてみると、「対等な立場」とは何なのでしょうか。
たとえば、親と子。
支援者と被支援者。
どうしても立場が異なれば、上下関係や力関係が生まれやすくなります。
たしかに、状況によっては一方が責任を持たなければならない場面もありますし、
伝えなければならないことも出てきます。
でも、それは「相手より偉いから」ではありません。
根本的には、どんな立場であっても、相手を一人の人間として大切に思うこと。
その思いが、「対等」の出発点ではないでしょうか。
立場を脱いで、向き合うこと
立場や役割を持つことは、社会の中で必要なことです。
ですが、それに縛られすぎてしまうと、人と人との関係が見えなくなってしまうことがあります。
ときには、その立場を脱ぎ捨て、
目の前の相手と「ただの人」として向き合うことが大切なのではないでしょうか。
そのうえで、必要な言葉は伝え合う。
その時こそ、「対等な関係」は本当の意味を持つように思います。
対等だからこそ、尊重し合う
「対等だから気を遣わないで」と言った人は、
もしかしたら、「あなたに無理をさせたくない」という優しさから、そう伝えたのかもしれません。
でも私は思うのです。
対等だからこそ、お互いに気を遣い合いたい。
相手を思う心を持ち寄って、遠慮ではなく、尊重としての気遣いを交わせたら、きっと心地よい関係が育まれるのではないでしょうか。
まとめ 〜対等とは、思い合うこと〜
対等な立場とは、「上下がない」ということだけではありません。
相手を自分と同じ一人の人間として尊重し、思い合うこと。
その姿勢が、立場の違いを越えて、対等な関係をつくるのではないかと思います。
ときには立場上、伝えなければならないこともあるでしょう。
でも、そのときこそお互いに立場を尊重し、言葉を交わし合うことが大切です。
あなたは、「対等な関係」について、どう考えますか?
サトシさん コメントありがとうごさいます。返信が遅くなってしまいました💦 聞き上…