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甘さでも厳しさでもなく、慈悲と赦しを育てるということ

人にはいろいろな“スタンス”があります。

自分に甘く、人にも甘い人。

自分に甘く、人には厳しい人。

自分に厳しく、人には甘い人。

自分に厳しく、人にも厳しい人。

私たちは日常の中で、こうした性格傾向をなんとなく感じ取りながら、「あの人は優しい」とか「自分には甘いよね」などと語り合っています。

けれど、私は最近思うのです。

この「甘さ」や「厳しさ」という分類だけでは見えない、もっと大切な心の視点があるのではないかと。

それが、慈悲の心と赦しの心です。

慈悲の心とは、苦しんでいる相手や自分にそっと寄り添い、「何が必要か?」と気づこうとする心。

赦しの心とは、過ちや不完全さを抱えた存在に対して、責めるのではなく、もう一度関係を結び直そうとする心。

どちらも、ただ優しいだけではなく、理解とつながりを土台にした成熟した姿勢だと思います。

甘さとは違います。

ただ見逃したり、許してしまったりすることではありません。

厳しさとも違います。

ただルールや理想を押しつけたり、自分を痛めつけたりすることでもありません。

ここで少し、「自分に甘い」「自分に厳しい」という態度について、慈悲と赦しの観点から丁寧に見てみたいと思います。

たとえば、「自分に甘い」状態というのは、一見すると自己への赦しがあるようにも見えます。

「まあ、しょうがないよね」「こんな時もある」と、自分を許してあげられることは確かに大切な力です。

しかしそこに、“本当はどうしたらよかったのか”という内面へのまなざし=慈悲の心が欠けてしまうと、ただ都合よく自分を正当化するだけになってしまうこともあります。

一方で、「自分に厳しい」人は、責任感が強く、反省もし、努力家であることが多いでしょう。

けれど、あまりにも自分を責め続けてしまうと、赦しの心が働かず、何度も過去の自分を罰するような感覚に囚われることがあります。

また、自分に厳しくしてしまう背景には、実は「こうでなければならない」と思い込んでしまうあまり、“今の自分が苦しんでいる”という事実に気づけない=慈悲が弱いという側面もあるのです。

このように、自分に甘い/厳しいというスタンスのどちらも、慈悲と赦しのバランスを欠くと、極端さに傾いてしまうのです。

「自分に甘くて人に厳しい人」は、自分を赦しても、他人には慈悲を向けられない状態にあるのかもしれません。

「自分に厳しくて人に甘い人」は、自分に慈悲を向けられず、他人にばかり心を配っているのかもしれません。

いずれにせよ、自分と他人に対して態度のスタンスが揃っていない状態には、どこか歪みや無理が生まれるように感じます。

それは、“他人とどう接するか”以前に、自分をどう扱っているか、自分の内側にどんな土壌があるのかという問題でもあるのです。

甘さでもなく、厳しさでもない。

そのあいだにある、まっすぐなあたたかさ。

それが、慈悲と赦しの心なのだと思います。

そして、それはどちらも「育てるもの」です。

ある日突然、手に入るものではありません。

今日の自分の中にある小さな揺らぎや弱さ、怒りや羨ましさに気づき、

それらを否定せずにそっと見つめる――

そうした繰り返しの中で、少しずつ慈悲の芽が育ち、

やがて赦しという柔らかな枝葉が広がっていく。

自分と他人の両方に、同じ姿勢で向き合うこと。

そこに、筋の通った優しさが生まれます。

それは決して「甘やかし」ではないし、「追い詰める厳しさ」でもありません。

自分にも、他人にも、「今この瞬間、必要なものに応える姿勢」――

それが、私の考える“ちょうどよさ”なのです。

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