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論理の向こう側、心の根っこ

はじめに:心を解き明かすための、静かな旅

ある問いが、長いあいだ私の心にありました。人の心や、自分の信じていることが分からなくなったとき、物事をきちんと筋道立てて考える「論理」の力で、その心を解き明かすことはできないだろうか、と。変わりゆく世界の中で、自分を支えてくれる確かなものとは何なのか。それが、自分自身の心の中を見つめる、静かな思索の旅の始まりでした。

「自立」への新しいまなざし:一本の木から、支え合う森へ

その旅の中で、まず私の考え方が変わっていったのは、「自立」という言葉についてです。以前は、誰にも頼らず、一人で強くあることが自立なのだとばかり思っていました。でも、それはまるで、嵐の中に一人で立つ一本の木のようかもしれない、と感じるようになったのです。

もしかしたら、本当の強さとは、森の木々が地面の下でそっと根を繋ぎ、互いを支え合っているような姿に近いのかもしれません。困ったときに「助けて」と言えること、そして誰かに上手に頼れること。それもまた、しなやかで、とても素敵な強さなのだという、温かい視点が生まれました。

「論理」だけでは、届かない場所

次に、私がずっと信頼してきた「論理」について、立ち止まって考えることになりました。物事を正しく考えるための大切な道具であるはずの論理も、時として、それだけでは行き届かない場所があるように感じたのです。

過去の出来事と未来への願いの間で板挟みになったときなど、考えれば考えるほど、かえって心が動けなくなってしまう。「こうあるべきだ」という考えで、自分で自分を小さな世界に閉じ込めてしまっているような感覚でした。そのとき、論理は万能ではないのだと、初めて素直に思えたのです。

心と体が教えてくれること

論理の檻からそっと抜け出す道は、意外なほど身近な場所にありました。それは、頭で考える「正しさ」だけでなく、心で感じる「なんだか、しっくりくる」という穏やかな感覚。あるいは、体が教えてくれる「心地よい」「少し苦しい」といった、正直な声でした。

私たちの心や体は、難しい理屈がなくても、どちらへ進めば自分が安らげるのかを、ちゃんと知っているようです。未来に向かって「こうなりたいな」と願う気持ちもまた、暗い夜道を照らしてくれる、優しい光なのだと気づきました。

一番あたたかい答えに気づくまで

そして思索の旅の果てに、私は最もシンプルで、最も温かい答えに行き着いたように思います。なぜ人は、他者に優しくありたいと願うことがあるのだろう。その根っこにあるのは、きっと「自分がそうされたいから」という、ごく自然で、人間らしい願いなのではないでしょうか。

自分が大切にされたいと願うから、まず自分から、誰かを大切にしてみる。この気づきは、どんな難しい言葉よりも、私の心を深く満たしてくれました。優しさは、立派な義務などではなく、自分が生きたいと願う温かい世界を、自分の手で創り出していくための、希望の一歩なのかもしれません。

おわりに:答えを探す、しなやかな自分へ

こうして、一つの問いから始まった私の旅は、凝り固まっていた考え方をほぐし、自分の中の風景を、静かに、でも大きく変えてくれました。完璧な答えを見つけることよりも、これからも答えを探し続けていく、そんな自分自身のしなやかな心を大切にしていきたい。今は、心からそう思っています。

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