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そっと触れる、圧ということば

小さな会話から見えた風景

「圧って、何なんでしょうね?」

そんな問いから、今回の対話の会は静かに始まりました。
日々の暮らしの中で、知らず知らずのうちに誰かに圧をかけてしまうこともあれば、自分がかけられていると感じる場面もあるように思います。

その日は3人ずつの小さなグループに分かれて、感じていることを話しました。ある方が、「団塊の世代はエネルギッシュで、圧を感じやすい」と話してくださいました。そこから話は、世代によって圧の受け止め方や、圧に対する耐性の違いに広がっていきました。

多様性を大切にしようとする今の時代では、無理にぶつかるよりも、距離をとるような選択が増えているのかもしれません。退職代行を利用する人がいるという話題も出ました。第三者を挟むことで、直接的な圧から距離をとる。そんな風に、圧というものに向き合う術も、少しずつ変わってきているのかもしれません。

「余白」がないときに

全体での対話の時間。
ある方が、自分の職場でメンタルを崩した社員について社長に提言したところ、「そんなに圧をかけられたら、誰も何も言えないよ」と返されたというお話がありました。

その話しぶりを聴いていて、私は少しだけ圧を感じました。
もちろん、相手に悪気があったわけではないと分かっているのですが、それでも心がぎゅっとするような感覚が残りました。

私は思わず、こんなふうに言葉にしてみました。
「余白ですかねえ」と。

最近、私は「言葉の余白」ということについて考えている時期でした。
断定的な口調や、「こうあるべき」といった言葉には、息苦しさが生まれてしまうことがあるのではないかと思います。反対に、少し余白を残した語り方、聞く側に委ねるような語り方には、圧が宿りにくいようにも感じます。

言葉にならない圧もある

その後の話題は、さらに深まっていきました。
ある方は、「場にはその場のエネルギーがある」と言いました。そして、「エネルギーのある人が、そうでない人に無意識に圧をかけてしまうことがある」とも。

その言葉に私は、はっとしました。
私たちはときに、言葉ではない何か――表情や態度、声のトーン、場の空気といったもの――によっても、圧を受け取っているのかもしれません。

たとえば、会議の議事録には残らないけれど、確かにそこにあった場の緊張感。発言しようとして、ふと止めてしまうような沈黙。そういう「言外」の部分に、圧がそっと潜んでいるような気がしました。

圧は、主観のなかにあるのかもしれない

「主観的なものだよね」

そんな声も、会のなかで挙がりました。
確かに、同じ言葉でも、ある人には優しく聞こえ、別の人には強く響くことがあるように思います。発した側にそのつもりがなくても、受け取った側が「圧だ」と感じることがある。

つまり、圧は「掛けるもの」でもあり、「感じるもの」でもある。
そのどちらも、たった一つの正解には収まりきらない、ゆらぎを含んだものなのだと思います。

しなやかに、揺れながら語る

この会を通して、私は一つのことに気づきました。
私は、場に「余白」を残したいのです。
どちらにもとれるような、しなやかさのある姿勢。受け取る人の解釈に開かれたような言葉。そういうものを、私は大切にしたいと感じました。

その上で、自分の意見をもっていないわけではありません。
ただ、それを「押しつける」のではなく、「差し出す」ように語れたらいい。互いに少しずつ歩み寄りながら、思いを言葉にしていく。そんな対話を私は願っています。

最後に、そっと問いかけてみる

圧は、避けるべきものなのでしょうか。
それとも、ときに大切な変化を促すものにもなるのでしょうか。

わたしには、まだ答えが出せません。
けれど、誰かと一緒に考え続ける時間のなかに、静かで豊かな何かが宿っているようにも思います。

あなたは、どんなときに「圧」を感じますか?
そして、どんなふうに、向き合っていますか?

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