会社を休む朝に起きたこと
ある日の朝、私は体調不良で会社を休むことにしました。
「本日は体調不良のため、お休みをいただきます」
そう連絡をすると、相手から簡潔な返信が届きました。
——「承知しました。」だけでした。
それだけのこと、と言ってしまえばそれまでかもしれません。
けれど私は、その「だけ」に、言葉がひとつ足りないと感じたのです。
「お大事にしてください」。
いつもなら添えられていたはずの、その一言がありませんでした。
欠けた言葉が生んだ小さな不安
たとえ定型文だったとしても、その言葉があることで、私は見守られているような、気遣ってもらえているような、そんな小さな安心を感じていました。
けれど、その日はそれがありませんでした。
相手が意図的に省いたのか、ただ忙しかっただけなのかはわかりません。
きっと本人も気づいていなかったのでしょう。
でも、私の心はその「なかったこと」を敏感に受け取ってしまいました。
なかったはずの不安が、そこに静かに現れてしまったのです。
言葉が「ない」ことの意味
言葉というものは、不思議な存在です。
あることで支えになることもあれば、ないことで心に影を落とすこともあります。
私たちはつい「かけられた言葉」ばかりを覚えているようで、実は「かけられなかった言葉」もまた、深く心に刻まれているのかもしれません。
なくて気づく、日常の言葉たち
そう考えてみると、「お大事にしてください」だけではありません。
「ありがとう」「ごめんなさい」「おはようございます」「お疲れさまです」——
ふだんなら交わされるはずの、当たり前のようにそこにある言葉たち。
それらがないとき、私たちは初めて、それが自分にとってどれほど大切だったかに気づくのです。
挨拶が返ってこなかったとき、感謝が伝わらなかったとき、謝罪の言葉が届かなかったとき。
それぞれの「なかった」は、ほんの小さなすれ違いかもしれません。
でもそのすれ違いが、じわじわと心を冷やすこともあるのです。
自分は言葉を届けられているでしょうか
ふと立ち止まって考えます。
「お大事にしてください」と、私はどれだけ誰かに伝えてきたでしょうか。
「ありがとう」や「ごめんなさい」を、ちゃんと届けられていたでしょうか。
当たり前の言葉を、当たり前に口にできていたでしょうか。
相手の体調を気づかうことも、感謝を示すことも、謝ることも、
それは自分の中のやさしさや誠実さを、言葉として差し出す行為です。
でもそれは、忙しさや疲れ、気まずさや照れの中で、つい後回しになってしまうこともあります。
言葉の不在が教えてくれること
欠けた言葉に気づいたとき、そこにはたしかに「伝えられなかった思い」が浮かび上がってきます。
それは相手の気持ちではなく、自分の気づきなのかもしれません。
けれど、だからこそ私は思います。
言葉の不在は、人と人とのつながりの繊細さを教えてくれるのだと。
そっと添える一言を、忘れずに
だから私は、この出来事を通して、一つのことを胸に留めておこうと思います。
「お大事にしてください」も、「ありがとう」も、「ごめんなさい」も。
たった一言の言葉が、相手の心にそっと手を添えることがあるということを。
その一言があるだけで、人はふっと呼吸をゆるめ、孤独や不安から少しだけ遠ざかることができるのです。
言葉があることで、つながれる
次に誰かとやりとりを交わすとき、私はその一言をきちんと届けたいと思います。
言葉が、そこにあること。
そのあたたかさと重みを、私は忘れずにいたいのです。
naoさんコメントありがとうございます。 おっしゃる通り、状況によっては「わから…