はじめまして。この連載「比べる心を紐解く。」では、私たちがつい抱えてしまう“比べる気持ち”について、ゆっくり丁寧に見つめていきたいと思います。比べないほうが楽だと頭では分かっていても、心はなかなか言うことを聞いてくれません。そんな私たちの心に寄り添いながら、一緒にほどいていける時間になれば幸いです。
第1回 比べてしまうという宿命
人は、なぜこんなにも「比べてしまう」のでしょうか。
比べる必要のない場面でさえ、心のどこかで自然と選別してしまいます。
自分と誰か、自分の現在と過去、一人で得た気づきと、二人で語り合って生まれた発見。
本来は同じ尺度で測れないはずの出来事が、なぜかひとつの物差しの上に並べられてしまうのです。
私はこれを、「世界のスカラー化」と呼んでいます。
■ 世界を一本の物差しに押し縮めてしまう「スカラー化」
スカラーとは、本来、ものごとを「量だけ」で表すときに使われる概念です。
たとえば温度、体重、距離、点数。これらはすべて、量的な一本の物差しで測ることができます。
方向も質もなく、「多いか少ないか」だけで決まる値です。
けれど、私たちの体験は本来そんなに単純ではありません。
感情には深さがあり、対話には方向性があり、人との関係には質があります。
複数の要素が絡み合った、立体的で多次元的な出来事です。
それでも私たちは、その複雑さを抱えきれずについ、
- 良かった/悪かった
- 価値があった/なかった
- プラス/マイナス
といった量的な一本軸へ押し縮めてしまいます。
スカラー化は比較をしやすくしますが、同時に、多次元の豊かさを切り捨ててしまう行為でもあります。
■ 比べる行為は、便利で残酷な「投影」なのかもしれません
「良かった・悪かった」「できた・できなかった」「成功した・失敗した」。
こうしたスカラー評価はとても便利です。選択が簡単になり、判断がしやすくなります。
しかしこの便利さは、私たちの世界から「質」や「向き」を奪い、複雑なものを単純化しすぎてしまう危険をはらんでいます。
このような「押し縮める力」が最も分かりやすく現れるのが、子どもの発達を見つめる場面です。
■ 発達は本来「ベクトル」である
たとえば、同じ3歳でも、
- ある子は「言葉」に向かって伸びている
- 別の子は「身体能力」に集中している
- さらに別の子は「社会性」や「興味関心」が突出している
発達には、それぞれ固有の「方向」があります。
同じ「成長」という量を持っていたとしても、その向きが違えば、意味も価値もまったく違うのです。
これは数学でいうベクトルに似ています。ベクトルとは「量」に加えて「向き」も持つ概念です。
同じ10歩でも、前に進んだ10歩と後ろに下がった10歩は全く別物であるように、発達も「進む向き」を持っています。
つまり、発達とは本来ベクトル的な現象なのです。
■ 発達は「ベクトル場」でもある
さらに言えば、発達は一つの方向に伸びるだけではありません。
子どもは同時に、
- 身体
- 言語
- 認知
- 社会性
- 情緒
- 想像力
といった多方向へ発達を広げています。
それぞれの方向に伸びる矢印が並び、時間とともに向きが変わり、また、強くなったり弱くなったりします。
これは数学でいう「ベクトル場」に近い状態です。無数の矢印が、それぞれ違う向きと強さで存在している世界。
本来の発達は、このような豊かなベクトル場なのです。
■ それでも私たちは「一本の線」で比べてしまう
にもかかわらず、私たちはつい、
- 早い・遅い
- 上手・下手
- できる・できない
と一本のスカラー軸だけで評価してしまいます。
本来は多方向へ伸びる豊かなベクトル場なのに、私たちはそれを一本の数直線に射影してしまう。
この「線への押し縮め」こそが、比べるという行為の本質なのかもしれません。
■ 一人の気づきと二人の気づきも、比較できないのに比べてしまう
これは発達だけでなく、対話にも当てはまります。
一人での自己対話は、一つのベクトルの延長線のようなものです。
二人の対話は、お互いのベクトルがぶつかり合い、新しい向きのベクトルが生まれます。
つまり、次元が変わるのです。
本来は比較できないはずのものを、私たちは「価値」というスカラー軸に落とした瞬間に比べてしまいます。
研究も同じです。一人で進める研究と、チームで進める研究では次元が違う。
しかし「成果」というスカラーに投影した瞬間、比べられてしまう。
この構造は、私たちの生活のあらゆる場面で起きています。
■ では、私たちは「比較」とどう向き合えばいいのでしょうか
ここまで見てきたように、比較とは、多次元の現象を一本の線に投影してしまう心のクセだと言えるかもしれません。
次回は、このクセとどう向き合い、どのように自分の世界の多次元性を取り戻していくかについて、さらに深めていきたいと思います。

















[…] こんにちは。「比べる心を紐解く。」第2回です。 前回は、私たちが世界を一本の物差しに押し縮めてしまう「スカラー化」について考えました。 まだお読みでない方は、先にこちらからどうぞ。 第1回「比べてしまうという宿命」 […]