「福祉」と「well-being」がすれ違ってきた理由について考える
日本で「福祉」という言葉を聞くと、
多くの人がまず思い浮かべるのは、障害や介護、高齢者支援ではないでしょうか。
もちろん、それらはとても大切な分野です。
しかしその一方で、「福祉=障害・介護」というイメージが強くなりすぎた結果、
福祉という言葉そのものが、
どこか限られた人のためのものとして受け取られるようになってはいないか、
そんな違和感も覚えます。
本来、福祉とはもっと広い概念だったはずです。
福祉という言葉がもともと含んでいた意味
「福祉」という言葉を分解すると、
「福」はしあわせ、
「祉」は神の加護や幸いを意味します。
つまり福祉とは本来、
人が幸せに生きることそのものを指していました。
そこには、
障害があるかどうか、
介護が必要かどうか、
支援を受けているかどうか、
といった区別はなかったはずです。
しかし日本では、制度としての「社会福祉」が前面に出るなかで、
福祉は次第に
「支援を必要とする人のための仕組み」
として理解されるようになっていきました。
英語圏での「welfare」と「well-being」
英語にも welfare という言葉がありますが、
これは主に公的支援や制度を指す言葉です。
障害や介護に限定されるものではありませんが、
やはり「制度」のニュアンスが強い言葉です。
一方で、英語圏ではもうひとつ、
福祉的な文脈で非常に重要な言葉があります。
それが well-being です。
well-being が問いかけているもの
well-being は、
「困っているかどうか」ではなく、
その人がよい状態で生きているかどうかを問う概念です。
学生の well-being、
働く人の well-being、
地域の well-being。
そこには、
「支援する側/される側」という線引きはありません。
誰もが当事者として含まれています。
この点で、well-being はむしろ、
福祉という言葉がもともと持っていた意味に近いのではないか、
そんなふうにも感じます。
なぜ今、well-being が重視されているのか
近年、well-being が強く注目されている背景には、
「問題が起きてから支える」モデルの限界があるように思います。
病気になる前、
折れてしまう前、
孤立してしまう前に、
人がどうすれば自分らしく生きられるのか。
そうした問いが、
個人の問題ではなく、
社会全体のテーマとして共有され始めているのではないでしょうか。
これは、
医学モデルから社会モデルへの転換とも重なっています。
私の取り組みが立っている場所について
私自身の取り組みも、
こうした文脈のなかに位置づけられるものだと感じています。
出発点には、確かに自身の障害経験があります。
けれども、私が向き合いたいのは、
「障害福祉」だけにとどまるものではありません。
福祉でもあり、
well-being でもあり、
同時に教育でもある。
人が自分自身を理解し、
他者と対話しながら、
よりよく生きていくための土台を育てていくこと。
そうした営み全体に、私は関わっていきたいと考えています。
障害の有無を越えて問い続けたいこと
障害があるかどうかに関わらず、
人は誰でも揺れ、迷い、立ち止まります。
そのとき、
「支援が必要になった人」だけを対象にするのではなく、
人間がよりよく生きるとはどういうことか
という問いそのものを、
開かれた形で共有していきたい。
福祉という言葉が狭くなってしまった今だからこそ、
well-being という言葉が呼び戻そうとしているものに、
あらためて耳を澄ませてみたいのです。
問いとして残したいこと
福祉とは、誰のためのものなのでしょうか。
well-being は、特別な人の話なのでしょうか。
生きている限り、
誰もが関わり続けるものとして、
福祉や well-being を語り直すことはできないのか。
その問いに向き合い続けること自体が、
私の取り組みなのだと思っています。

















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