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余白のない世界で、私は何を求めているのか――効率・生産性と人間の回復

効率と生産性がもてはやされる時代に

今、私たちは日々の生活や仕事のなかで、
「いかに効率よく」「いかに生産的に」過ごせるかを問われています。
時間を無駄にせず、より多くのアウトプットを出すことが、あたかも“正解”であるかのように語られることが少なくありません。

けれども、私はふと疑問に思うことがあります。
効率や生産性ばかりを追い求めることで、私たちは“何か大切なもの”を失ってはいないでしょうか。

それは、“余白”という名の、人間らしさです。

作業台の上の思索――メモリの比喩として

私は、人間の心を「作業台」にたとえて考えてみました。
作業台にはいくつもの制作物が置かれています。
それらは、今取り組んでいること、過去に手をつけたけれど途中になっているもの、そしてこれから始めたいと思っていることです。

効率を求めれば求めるほど、作業台は制作物で埋まっていきます。
生産性を高めようとすればするほど、新しいアイデアや工程が追加され、スペースはどんどん狭くなってしまいます。
やがて、新たなことを始めるための“余白”が、作業台から消えていきます。

途中の制作物を仕上げようと思っても、整理する余地がありません。
効率や生産性が、むしろ完成の可能性を閉ざしてしまうparadox(逆説)が、そこにあるように感じます。

余白とは、単なる“空白”ではありません

余白とは、「なにもしない時間」や「ぼんやりする瞬間」だけを意味するわけではありません。
それは、まだ手をつけていない“可能性のスペース”であり、
風が通る場所であり、自分自身と静かに向き合える“間(ま)”でもあります。

この余白のなかでしか、私たちは気づくことができないことがあります。
心のゆらぎ、立ち止まり、気持ちの変化――
そうした“非効率なものたち”の中にこそ、本当の意味での回復や創造があるのではないでしょうか。

どのスパンで、何を見つめるのか

私は最近、こんな気づきを得ました。
「効率や生産性は、どの時間軸で評価するかによって意味が変わる」ということです。

1日の中で見れば、たくさんの成果を出した方が“優秀”に見えるかもしれません。
けれども、人生全体のスパンで見たときに、それは本当に豊かさや納得感につながるのでしょうか。

短期的な効率や生産性を積み重ねた末に、
もし自分の軸を見失ってしまうのだとしたら――それは本当に「高効率」と言えるのでしょうか。

私たちの問い直し

このエッセイは、誰かを批判するものではなく、まずは自分自身への問いかけから始まっています。
「私は、なぜ効率や生産性を高めたいのか」
「それは、私の人生の余白を失わずに達成できるのか」

そして、あなたにも問いかけてみたいのです。

あなたの作業台には、今、どれくらいの余白が残っていますか?
あなたが本当に仕上げたい“人生の制作物”とは、どれでしょうか?

効率の外側にこそ、人生の本質が宿っているのかもしれません。
そんな余白を大切に抱きしめながら、私は今日も、問いとともに歩んでいきたいと思います。

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