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過去の意味は、自分で書き換えられる

病気が深まっていった時期、私は過去の出来事に繰り返し巻き込まれていました。
その多くは、ふとした拍子に思い出される過去の場面で、なかには些細なことも含まれていましたが、当時の私はそれらに強く反応し、「やっぱり自分はだめなんだ」といった思い込みへとつながっていました。

あのときの記憶は、まるで今の自分を傷つける“根拠”のように感じられ、私の中で過大に意味づけられていたのです。

けれど今の私は、そうした出来事に対して「ナラティブ上、そこまで大きな位置を占める必要はない」と見直すことができています。
もちろん、当時の自分にとっては苦しかった出来事ですし、それをなかったことにするわけではありません。
それでも、その経験が今の人生の中心に居座り続ける必要はないと感じられるようになってきました。

私たちは、過去の出来事そのものを変えることはできません。
けれど、その出来事が自分にとってどれほどの意味や重みを持つかを見直すことはできます。
これは、私が回復の過程でじわじわと実感してきたことです。

ナラティブは自分の手で語り直すことができる

ナラティブとは、ただ出来事を思い出すことではありません。
「私はどんな人間で、何を経験し、どう意味づけてきたのか」という語りの形そのものです。
だからこそ、「あの経験があったから私はだめだ」という物語もあれば、
「あのときの私、よく耐えていたな」と語り直すこともできるのです。

大切なのは、どの語り方を選ぶかは、最終的には自分の選択であるということです。
私たちは、自分自身のナラティブの語り手であり、編み手でもあります。
過去に閉じ込められていた自分に、今の自分が新しい語りを届けてあげる。
それが、ナラティブの再構成の入り口になるのだと思います。

ナラティブは関係性の中でも再構成される

こうして自分自身のナラティブを見直していく中で、私はもう一つの視点に気づくようになりました。
それは、ナラティブは自分ひとりの中だけで完結するものではなく、関係性の中で育まれ、変わっていくものでもあるということです。

たとえば、私が「いじわるされた」と感じた出来事も、もしかしたら相手にとっては「自分を守るための行動」だったのかもしれません。
(もちろん、そうでなかった可能性もあります。)
本当のところはその人にしかわかりませんし、その人がどう意味づけているかにもよります。
それでも、「その出来事には、私以外の誰かのナラティブも存在していたのかもしれない」と想像することで、
私のナラティブの風景も少しずつ変化していきました。

自分の物語は、他者の物語と接点を持ちながら、関係性の中で動き続けているのだと思います。

ナラティブの再構成は他者へのまなざしも変える

今の私は、あの頃の自分を責めていません。
また、「なぜ誰も助けてくれなかったのか」と問い詰める気持ちも、少しずつ手放せるようになってきました。
その背景には、「ナラティブの重みは自分で見直せる」という実感と、
「相手にも相手なりのナラティブがあったのかもしれない」という想像力が育ってきたことがあるように思います。

ナラティブの再構成とは、自分の物語を語り直すことであり、
同時に、他者の物語にもやさしく目を向け直すことでもあります。
語ること、聞くこと、想像すること。
そのすべてが、関係性の中で新しいナラティブを育んでいくのだと思います。

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