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感受性のつまみ

感じすぎる私、それでも大丈夫?

私はよく、人の言葉や表情、場の空気に敏感に反応してしまいます。
たとえば、誰かの何気ない一言に心がざわついたり、沈黙の奥に意味を読みすぎて疲れてしまったり。
そんな自分を「ちょっと面倒だな」と感じることがあります。

でも、それって本当にいけないことなのでしょうか?
「私はこのままで大丈夫なのだろうか?」
そう自分に問いかけるようになってきました。

感受性が教えてくれること

感受性が高いと、確かにしんどいことも多いです。
けれど、それによって見えてくるものもあるのだと、最近少しずつ思えるようになってきました。

ほんの小さな違和感に気づいたり、
誰かの「大丈夫」の裏にある不安に寄り添えたり。
季節の変わり目の匂いや、心の機微に気づける感覚。

そういった瞬間が、自分の世界を豊かにしてくれているのだと気づいたのです。

感受性をなくすのではなく

以前は「こんなに感じすぎなければいいのに」と思っていました。
けれど今は、感受性そのものをなくしたいとは思いません。
それは私の一部であり、私が私であるために必要な感覚なのだと思えるようになったからです。

ただ、何もかもを全力で感じ続けるのはやっぱり疲れます。
だから、どうすればちょうどよく生きられるのかを考えるようになりました。

感度のつまみを調整する

最近の私は、「つまみを調整する」というイメージを持っています。
感受性のボリュームを、状況や心の状態に応じて調節するという感覚です。

疲れているときは、少し感度を落とす。
心に余裕があるときは、感度を高めて誰かの声にそっと耳をすます。
そうやって、自分にちょうどいいバランスを探してみるのです。

敏感な私を、しなやかに生きる

感受性は強さとは少し違うかもしれません。
でも、それを無理なく扱っていけたなら、しなやかさになると思います。

繊細であることは、悪いことではありません。
ただ、その繊細さに押しつぶされない工夫は必要です。
だから私は、これからも自分の心のつまみに手を添えながら、
感じることを手放さずに、生きていきたいと思っています。

「感じすぎる私」は、大丈夫。
大丈夫でいられるように、今日も少しずつ整えていけばいいのです。

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