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時間の密度を生きる

昨日、ふと「時間は本当に平等なのか」という問いを得ました。
転職してからは、新しい職場で覚えることが多く、毎日があっという間に過ぎていきます。
けれど、少し時間ができると、何をしていいのか分からず、手持ち無沙汰になることもあります。

そんな中で、ある人が「時間って、長さが変わるよね」と話していました。
その一言が心に残り、改めて時間について考えてみたのです。

時間は本当に平等なのか

「時間は誰にでも平等に与えられています」と言われます。
けれど、本当にそうでしょうか。
時計の針は確かに等間隔で進みますが、私たちが感じ取る時間の流れは、あまりにも不均一です。

嫌なことに向き合っているとき、時間は粘つくように重く、なかなか進まないように感じます。
一方で、好きなことに没頭しているときは、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
その不思議さを、私は「時間の密度」と呼びたくなります。
一秒一秒の重さは、私たちの心の状態によって変わっていくのです。

止まったように感じた時間

私が閉鎖病棟にいたとき、時間はまるで止まっているように感じました。
窓の外の空の色が変わっていくのを眺めながら、
「まだ一日が終わらない」と何度も思いました。

保護室の中では時計もなく、外からの音もほとんど届きません。
ただ、壁の白さと静けさだけが延々と続いていきます。
その中にいると、一時間が永遠のように思えました。
「時間の平等」という言葉が、どこか遠い世界の話のように感じられたのです。

あの頃の時間は、どこまでも引き延ばされたように感じました。
一分が一時間のようで、時計が進んでいないのではないかと思うほどでした。
その長さの中で、私は何度も自分を見つめようとしました。
けれど、薬の影響と陰性症状の重さの中で、思考も感情も霧のように遠ざかっていきました。
何を感じているのかさえ曖昧で、時間の流れだけが身体の外側で進んでいるようでした。
それでも確かに、あの静止した時間は私の中に深く刻まれています。

時間の濃淡が教えてくれたこと

退院してしばらくしてから、同じ24時間が、まるで別の密度を持つように感じられるようになりました。
何をしていなくても、時間が前に進んでいることを少しずつ実感できるようになったのです。

「時間の密度」は、単に感じ方の違いではなく、”生き方そのものの表れ”なのかもしれません。
嫌な時間は遅く、楽しい時間は早い。

この逆転こそ、時間の不思議なパラドックスだと思います。
苦しい時間ほど長く感じられるのに、
振り返ってみると、あの時間にこそ、何を恐れ、何を願っていたのかが見えてきます。
その思いが、今もどこかで自分を支えている気がします。
一方で、楽しい時間は一瞬で過ぎ去るのに、
その短さがかえって「もっと生きたい」という思いを残していきます。

時間は、つらい瞬間には私たちを閉じ込め、
幸せな瞬間には私たちを通り過ぎていきます。
そのどちらもが、「生きることの痛み」と「生きることの輝き」を、
同時に教えているように思うのです。
その不平等さこそが、私たちを人間らしくしている気がします。

もし時間が本当に平等なら、喜びも苦しみも平板に感じるかもしれません。
けれど、時間の感じ方に濃淡があるからこそ、
「生きている」という実感が浮かび上がるのだと思います。

時間を感じる力を取り戻す

今では、時間を「どう過ごすか」よりも、
時間を「どう感じるか」の方が大切だと思うようになりました。

「一日の密度を高めること」は、何か特別なことをするという意味ではありません。
むしろ、小さな感覚に気づくこと、心の揺れを丁寧に受け取ることなのだと思います。

時間の感じ方の不平等を受け入れることは、
生きることの不確かさや矛盾を受け入れることでもあるのかもしれません。
その揺らぎの中にこそ、私たちが確かに「生きている」証があるように思います。


その積み重ねが、時間を深め、生を豊かにしていくのだと思います。

時計の針は平等に動きます。
けれど、私たちはその中で、
それぞれの「時間の密度」を生きています。

これからもそのことを心に留めながら、
嫌な時間も、楽しい時間も、大切に生きていきたいと思います。

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