皆さんは、「バリアバリュー」という言葉を知っていますか。

最近、私が大切にしている考え方の一つです。そして、精神疾患を持つ仲間にも、心の片隅に置いておいてほしいと思っています。

バリアバリューとは、障害や困難によって生まれた経験、視点、感覚を、社会や誰かのための新しい価値へと変えていく考え方です。

障害を、ただ取り除くべき「バリア」として見るだけではなく、そのバリアとともに生きてきたからこそ得られたものに目を向けてみる。

その経験の中に、まだ言葉になっていない価値があるのではないか。

私は、バリアバリューをそのように捉えています。

バリアは、なくなったことにはできない

この考え方を語るとき、最初に大切にしたいことがあります。

それは、障害や病気による苦しみを、無理に良いものとして捉える必要はないということです。

精神疾患によって失うものは、確かにあります。

できなくなったこと。
諦めざるを得なかったこと。
離れていった人。
失った時間。
思い描いていた未来。

それらを前にして、「この経験にも価値がある」「病気になってよかった」と簡単に言われても、受け入れられないことがあるでしょう。

苦しみは、苦しみです。

バリアバリューとは、その苦しみを消す言葉でも、美しい物語に置き換える言葉でもありません。

バリアが存在した事実を認めたうえで、それでも、その経験の中から生まれたものに目を向けてみることです。

光と影は、同じ一枚のコインである

私は著書『揺れながら、整えるバランスの教科書』の中で、光と影について書きました。

一枚のコインには、必ず表と裏があります。片面だけのコインを手にすることはできません。

光があれば影が生まれます。磁石にN極があれば、必ずS極があります。

私たちは、「長所」と「短所」、「強み」と「弱み」、「希望」と「諦め」を、それぞれ別のものとして考えがちです。

しかし、実際には、それらは分けることのできない一つのものなのかもしれません。

優しさは、状況によっては決断力のなさとして現れます。

慎重さは、ときに臆病さとして現れます。

頑固さは、見方を変えれば意志の強さでもあります。

光と影は、どちらか一方だけが存在するのではありません。同じ一つの性質が、置かれた状況や見る人の立場によって、光にも影にも見えるのです。

バリアバリューも、この光と影の関係の中にあるのではないかと思います。

障害という影を、無理に光へ変えるのではありません。

影の裏側に、すでに存在していた光に気づいていく。

それが、バリアバリューを見つけるということではないでしょうか。

統合失調症という大きな影

私の人生における大きな影の一つは、統合失調症を発症したことでした。

さまざまな症状や抑うつに苦しみ、それまで当たり前にできていたことができなくなりました。

思い描いていた人生を、そのまま歩むこともできませんでした。

病気は、客観的に見れば、私の人生における明確な弱みであり、困難です。

私自身も、長い間そのように捉えていました。

しかし、その影の中で過ごす時間が長くなるにつれて、私の中に一つの感覚が育っていることに気づきました。

それは、他者の苦しみは、その人自身にしか本当には分からないということ。

その大前提に立ちながらも、その人が見ている苦しみの景色や、その痛みの質感を、理屈ではなく感覚として、そっと想像しようとすることです。

もちろん、同じ病気を経験していても、相手の気持ちをすべて理解できるわけではありません。

「自分も同じ経験をしたから分かる」と決めつけてしまえば、かえって相手を傷つけることもあります。

それでも、自分には分からないものがあると知りながら、相手の言葉にならない苦しみに耳を澄ませる。

その姿勢は、私自身が苦しみを経験したからこそ、育まれたものだと感じています。

もし私が病気にならず、社会の中で光の当たる道だけを歩いていたなら、この感覚を持つことはできなかったかもしれません。

統合失調症という大きな影の裏側には、人の痛みを安易に分かったつもりにならず、それでも分かろうとする光がありました。

これが、私にとってのバリアバリューの一つです。

「できない経験」が、新しい問いを生み出す

障害や病気を経験した人は、社会の中にある「生きづらさ」に気づきやすいことがあります。

元気な人を前提にした働き方。

素早く判断できる人を基準にした制度。

自分の状態を、分かりやすい言葉で説明できる人だけが支援につながりやすい仕組み。

多数派にとっては何の問題もない場所が、ある人にとっては大きな壁になることがあります。

その壁に実際にぶつかった人だからこそ、

「なぜ、この仕組みになっているのだろう」

「ほかの方法はないのだろうか」

「誰かが無理をしなくても参加できる形にできないだろうか」

という問いを持つことができます。

バリアにぶつかった経験は、その人だけの失敗や能力不足ではありません。

それまで見過ごされてきた社会の課題を、目に見える形にすることがあります。

だからこそ、当事者の経験や声には価値があります。

当事者の語りは、単なる体験談ではありません。

制度や支援、働き方、人と人との関係を見直すための、大切な知見でもあるのです。

弱みを、無理に強みに変えなくていい

ただし、ここでも注意が必要です。

私たちは、ときどき「弱みを強みに変えよう」と急ぎすぎてしまいます。

病気になったのだから、その経験を誰かの役に立てなければならない。

苦しんだのだから、そこから何かを学ばなければならない。

当事者なのだから、自分の経験を語らなければならない。

そのように考え始めると、バリアバリューという言葉が、新しい重荷になってしまいます。

すべての経験を価値に変える必要はありません。

語りたくないことは、語らなくてよいのです。

まだ意味を見つけられない経験があっても構いません。

影の中にいるときに、無理やり光を探す必要もありません。

バリアバリューは、「あなたの苦しみには価値があるのだから頑張りなさい」と外側から押しつけるものではないと思います。

本人が自分の歩みを振り返ったとき、

「あの経験があったから、この感覚を持つようになったのかもしれない」

「失ったものだけではなく、自分の中に残ったものもあるのかもしれない」

と、少しずつ自分の経験を捉え直していくための考え方です。

価値を決めるのは、周囲ではありません。

その経験を生きてきた本人です。

諦めた場所に生まれる希望

病気によって、私は多くのことを諦めてきました。

その一つが、大企業に勤め、多くの人が思い描くようなキャリアを歩んでいくことでした。

当時の私にとって、それは大きな喪失でした。

一つの道を諦めることは、自分の未来そのものを失うことのように感じられました。

しかし、その道を手放したことによって、私の中には別の希望が生まれました。

かつての私のように、苦しみの渦中にいる人の隣に、静かにいられる存在になりたい。

当事者、家族、支援者といった立場を越えて、人と人とが語り合える場をつくりたい。

自分の経験や言葉を通して、誰かが「自分も、また歩き出せるかもしれない」と思えるきっかけを届けたい。

それは、以前の道を歩み続けていたら出会えなかった希望かもしれません。

諦めたこと自体が、直ちに希望へ変わったわけではありません。

大きな扉を閉じたあとには、長い空白がありました。

けれど、その空白があったからこそ、別の小さな扉があることに気づくことができました。

バリアバリューとは、失ったものを取り戻すことだけではありません。

失ったあとに残された余白から、自分にとって新しい価値や希望を見つけていくことでもあるのだと思います。

影は、価値を生み出すために存在するのではない

障害や病気は、価値を生み出すために存在しているわけではありません。

つらい経験をすることが、人として成長するために必要だとも思いません。

避けられる苦しみであれば、避けた方がよいでしょう。

取り除ける社会的な障壁であれば、取り除いていく必要があります。

バリアバリューという考え方は、バリアを残しておくための言葉ではありません。

「障害が価値になるのだから、社会は変わらなくてよい」という話でもありません。

バリアを減らすことと、バリアを経験した人の中に育まれた価値を尊重すること。

その両方が必要です。

困難を個人の努力だけで乗り越えさせるのではなく、社会の側も変わっていく。

同時に、困難の中を生きてきた人の経験を、弱さや欠落としてだけ見るのではなく、一つの知恵として受け取っていく。

その両輪があってこそ、バリアバリューという考え方は、本当の意味を持つのではないでしょうか。

あなたの影だけが放てる光

あなたが「弱み」や「困難」だと感じていることは、何でしょうか。

それによって、何を失いましたか。

何を諦めましたか。

ここで、問いを少し変えてみます。

その経験があったからこそ、気づけるようになったことはありませんか。

以前よりも丁寧に感じ取れるようになったことはありませんか。

誰かに向けるまなざしや、社会を見る視点に、変化はありませんでしたか。

今すぐ答えが見つからなくても構いません。

「何も得ていない」と感じる時期があってもよいのです。

それでも、いつか自分の歩みを振り返ったとき、影の裏側に、小さな光があることに気づくかもしれません。

障害があるから、人としての価値が高くなるわけではありません。

障害があるから、特別な使命を持たなければならないわけでもありません。

ただ、障害とともに生きてきたあなたにしか見えない景色があります。

あなたにしか気づけない痛みがあります。

あなたにしか投げかけられない問いがあります。

それらは、社会がまだ十分に知ることのできていない、大切な価値かもしれません。

影を消し去るのではなく、影とともに生きてきた自分を見つめる。

そして、その影の裏側にある光を、自分の速度で見つけていく。

それが、私の考える「バリアバリュー」です。