共にあろうということ― 私がいて、あなたがいる ―

こころのバリアフリー研究会の総会で、張先生による自殺とスティグマに関する講演を聞く機会がありました。
講演の中で、私が特に印象に残ったのは「なぜ自殺を防ぐのか」という論拠についてのお話でした。
自殺の原因を調べるために行われる心理学的剖検では、自殺で亡くなった方について、周囲の人々への聞き取りなどを通じて背景を調査します。その結果、約9割の人に何らかの精神疾患の診断が下りることが分かっているそうです。特にうつ病が多いとのことでした。
世の中には、「自殺も本人が決めたことなのだから尊重すべきではないか」という意見があります。しかし張先生は、多くの場合、それは十分に理性的な判断の結果ではなく、脳の機能的な変調の影響を受けた状態で起きていることが分かっている以上、防ぐべきものであると話されていました。
私はその話を聞きながら、別のことも考えていました。
もし人間が自然界の生き物の一つとしてだけ存在しているのなら、その機能的変調ですら自然な現象として受け止められるのかもしれない。
けれど、人間はそうではありません。
私たちは社会をつくり、関係を築き、誰かを思い、誰かに思われながら生きています。
だからこそ、人の苦しみに対して何かをしたいと思う。
医師が機能的変調を治そうとするのも、その人の使命を果たそうとしているからなのでしょう。
そして私もまた、自殺は防ぎたいと思います。
けれど、その理由を尋ねられたとき、私は医学的な説明よりも先に、もっと個人的な言葉で答えたいと思いました。
「私があなたにいてほしいから」
ただ、それだけです。
私がいて、あなたがいる。
あなたがいて、私がいる。
共にありたいと思う。
だから生きていてほしい。
張先生は、日本では自殺が集団的に増加する傾向があるという話もされていました。
その話を聞きながら、私は日本人がもともとつながりを重んじる民族だからではないかと思いました。
人は一人では生きられません。
だからこそ、閉じた集団の中で「もう無理だ」「どうせ変わらない」と皆が思い始めると、その空気は周囲にも広がっていきます。
もし集団全体が「共にあること」をあきらめてしまったら、自殺が増えてしまうのも不思議ではないように思うのです。
だから私は、そんな閉じた空気に対して声を上げたいと思います。
大きなことは言えません。
人生にはつらいことがあります。
死にたくなるほど苦しいこともあります。
それはきっと誰にでも起こり得ることです。
それでも私は言いたい。
「つらいことも、死にたくなることも、そりゃあ誰にでもある。」
「だけど、共に生きていこうよ。」
それが私なりの、自殺を防ぎたい理由なのだと思います。















サトシさん コメント嬉しいです。 そういっていただき有難うございます。 「諦観」…