こんにちは。
今日は片を付ける練習(片付けの練習)をしたいと思ったお話をさせて下さい。
片を付けることの重要性
片を付ける。それは人生のあらゆる場面で求められる、一見地味ながらも大切なスキルです。
未完のまま放置された仕事、引きずったままの人間関係、さらには心の中で棚上げしてしまった感情の整理。
それらにきちんと片を付けることは、前に進むための鍵と言えるでしょう。
しかし、その「片を付ける」ことは決して簡単ではなく、ときに痛みや葛藤を伴います。
それでもなお、この練習を重ねることが、私たちを成長させ、より自由で充実した人生へと導いてくれるのです。
私は片を付けることが苦手
片を付けること。それは私にとって、昔から苦手としている課題の一つです。
最も顕著に表れているのが、部屋の状況です。本や衣服、小物などが整理されないまま積み重なり、片付けたいと思いながらも手を付けられない日々が続いています。
特に思い入れのある物や、まだ使えるかもしれないと考える物を捨てることができず、結果として部屋はものにあふれてしまいました。
この「ものに片を付けられない」傾向は、物事にも波及しています。
たとえば、何かを決断する場面で私はしばしば迷い続け、最終的に誰かに決めてもらうまで動けないことがあります。いわば優柔不断という大きな悩みを抱えているのです。
つい最近のことですが、哲学対話の場でその一端を強く感じました。
対話のテーマを決める際、私はいくつかの候補の中で決めきれず、ただ時間だけが過ぎていくように思われました。最終的には、ある方が「このテーマをやりたい!」と声を上げてくれたことで決定しましたが、それがなければ、いつまでも迷い続けていたことでしょう。
この経験は、自分の「片を付ける力」の弱さを改めて痛感する出来事でした。
こんなふうに、自分では片を付けられず、周囲の助けを必要とする場面が多い私ですが、この状況を何とか改善したいという思いが、片を付ける練習への関心を強くしました。
片を付けることがもたらす解放感
日々を過ごしている中で、稀に片を付けられた瞬間、驚くほどの解放感や満足感を味わうことがあります。
たとえば、ようやく思い切って不要なものを手放したとき、あるいはずっと気がかりだったタスクを終わらせたとき。
片を付けた後の空間や時間の清々しさは格別です。それは、未来への余白が生まれる感覚でもあります。
片を付ける行為は、「終わり」を意味するだけではありません。それは「新しい始まり」を作り出すことでもあります。
ため込んだものを整理し、頭や心を軽くすることで、自分にとって本当に大切なことが見えてくるのです。
小さな練習から始める
では、どうすれば片を付ける力を身につけられるのでしょうか。その答えは、「小さなことから始める」に尽きると思います。
たとえば、まずは身の回りの整理から。
1日に1つだけ不要なものを捨てるという習慣を始める。
また、選択に迷ったときには、時間を決めて「今この瞬間の直感」を信じてみる。
そうした小さな実践を繰り返すことで、少しずつ片を付ける力が身についていくのではないでしょうか。
重要なのは、完璧を求めすぎないことです。片を付ける練習は、決して一夜にして身につくものではありません。
失敗しても、それもまた練習の一環と捉えて進んでいくことが大切だと思います。
練習を続ける中で見えるもの
片を付ける練習は、人生における一つの自己対話の形です。
「本当に必要なものは何か」「どんな未来を目指したいのか」を問いかける中で、私たちは自分自身の価値観と向き合うことができます。そして、片を付けた先には、新たな選択肢や可能性が待っています。
片を付けることは難しい。
私にとっても依然として大きな課題です。
しかし、その先にある自由と軽やかさを思えば、一歩ずつでも練習を続ける価値があると思えるのです。
森の民さん コメントありがとうございます! 語り合いの時間、本当に素晴らしいです…