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忘れるのではなく、自覚し、思い出し、理解する

統合失調症という病を経験してきた私の人生の中で、この経験をどのように受け止め、乗り越え、そして慈悲の心で向き合うようになったかについて書きたいと思います。このプロセスは、決して簡単なものではありませんでした。しかし、それを通じて得た気づきや学びは、今の私の人生に深い意味を与えています。

自覚すること

病気を抱えているとき、特に統合失調症のような病気の場合、自分の状態を正確に認識することは非常に難しいです。当時の私は、自分の感情や思考、行動が自分でも理解できないほど混乱していました。しかし、治療や支援を通じて、少しずつ自分の状況を「自覚」することができるようになりました。

自覚するということは、自分の苦しみや痛みを否定するのではなく、まずそれを認めることです。「私は苦しい」「私は助けを必要としている」――このような気持ちを正直に受け入れることから、癒しのプロセスは始まりました。この段階では、無理にポジティブになろうとする必要はありません。ただ、自分が感じているものをそのまま受け止めることが重要です。

思い出すこと

病気と向き合いながらも、私は自分の過去を思い出すことに強い抵抗を感じていました。なぜなら、それは痛みを伴うものであり、自分の心に再び傷を負わせる可能性があったからです。しかし、思い出すという行為は、ただ過去の辛い出来事を繰り返すことではありません。その出来事を新たな視点から眺め、理解するための重要なステップです。

思い出す中で、「なぜあのとき、あのような行動を取ったのか」「なぜそのように感じたのか」を考え直しました。これには勇気が必要でしたが、そのプロセスを通じて、過去の自分を客観的に見つめ、少しずつ理解が深まりました。

理解すること

自覚し、思い出した後に、最も重要だったのは「理解すること」でした。理解とは、自分自身や過去の出来事を、単なる善悪で判断するのではなく、その背景や理由を冷静に考えることです。

統合失調症を抱えた私自身の行動や感情も、今振り返ると「そうせざるを得なかった」背景がありました。この気づきにより、私の心にわだかまっていた混乱や自分自身への厳しい視線が、少しずつ和らいでいきました。

慈悲の心で向き合う

自覚し、思い出し、理解することで、私は自分の過去に対して慈悲の心を持てるようになりました。慈悲とは、単に相手を許すことではなく、相手もまた苦しんでいたのだと理解し、その痛みに寄り添う気持ちです。

統合失調症の経験を通じて、私は自分自身に対してもこの慈悲の心を向けるようになりました。「あのときの自分は弱かった」「もっと強くあるべきだった」と責めるのではなく、「あのときの自分は精一杯頑張っていた」と自分をいたわることができるようになったのです。

また、この経験を通じて、他者の苦しみにも敏感になり、その人の背景や痛みに思いを巡らせることができるようになりました。それは、私がこれからの人生で他者とどう関わるかを形作る、大切な土台となっています。

忘れるのではなく、向き合う勇気を

「忘れてしまえば楽になる」という考え方もあります。しかし、忘れることは問題を解決するのではなく、ただ蓋をするだけの行為に過ぎません。自覚し、思い出し、理解することは、時に辛く、傷つくこともありますが、そのプロセスを通じてしか本当の癒しや許しは生まれません。

私が統合失調症の経験を通じて学んだこと、それは「忘れるのではなく、自覚し、思い出し、理解する」ことで、自分の人生を受け入れられるようになるということです。この道のりは容易ではありませんが、その先には、深い安らぎと新しい希望が待っていると信じています。

まとめ

この経験が、誰かの心に少しでも響き、自分の過去や痛みに向き合う勇気を持つきっかけとなれば幸いです。

つまり、「忘れるのではなく、自覚し、思い出し、理解する」というプロセスを経て、私たちは過去の出来事をただの傷ではなく、人生の重要な一部として受け入れることができます。その結果として得られる慈悲の心は、自分自身をいたわり、他者に優しく向き合う力をもたらしてくれると感じます。この道のりを進む中で、私たちは本当の意味で自由になり、新たな希望を見いだすことができるのです。

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