偏見や差別をなくすためには「正しい理解」が必要である、とよく耳にします。しかし、そもそも「正しい理解」とは何を意味するのでしょうか。さらに、社会が「正しく理解する」とはどのような状態を指すのでしょうか。また、社会に正しい理解が広まるとはどういうことかについて考察していきます。
そして、統合失調症当事者が自身の病気について「正しく理解している」とは、どのような状態を指すのでしょうか。この問いについても掘り下げてみたいと思います。ここでは、私は社会が理解するだけでなく、自分自身も正しく理解することが重要だと思います。また、自分を否定的に捉えてしまう「セルフスティグマ(自己偏見)」という課題についても触れる必要があると感じます。
社会が正しく理解するとは何か
「正しい理解」という言葉を聞くと、客観的な事実を思い浮かべるかもしれません。しかし、社会が正しく理解するとは、精神疾患や障害、あるいは個々の多様な背景や状況に対する正確な知識を持つだけでなく、その知識を基に当事者を尊重し、彼らが安心して暮らせる環境を作ることを意味します。社会全体が偏見を取り除き、様々な状況を抱える人々への共感と支援を深めることが重要だと考えます。
また、社会に正しい理解が広まるとは、精神疾患や障害に対する知識と理解が社会全体に根付くことであり、当事者が偏見や差別を受けることなく、平等に扱われる状況を指すのではないかと考えます。この状態を実現するためには、教育や啓発活動が不可欠だと思われます。
社会全体の理解が十分でない場合、当事者が「自分は正しく理解されている」と思える状況にはなりにくく、それが他者から正しく評価されるとは限りません。このギャップが、当事者にとってさらなる負担となることもあります。
正しい理解とは主観と客観の交差点
「正しい理解」という言葉には、客観的な事実に基づく部分と、主観的な体験や感情が交わる部分が含まれています。たとえば、精神疾患の場合、症状や治療法についての知識は医学的に正確であることが求められますが、それだけでは十分ではありません。
たとえば、「自分は何らかの困難を抱えている」と認識できたとしても、それをどう受け止め、日常生活に活かすかは、個々の人生経験や価値観によって異なります。つまり、正しい理解とは、事実を知るだけでなく、それを自分の中で意味づけるプロセスを含むのです。
当事者の視点での理解
精神疾患や障害の当事者が、自身の状況を「正しく理解している」と言える状態は、どのようなものでしょうか。これには以下の要素が含まれると考えます:
- 自己認識
症状や診断を受け入れること。たとえば、「自分はこのような状況にある」という認識が第一歩となります。 - 課題との向き合い方
自分の状況をコントロールする方法を理解し、実践できること。服薬、カウンセリング、生活習慣の改善などを通じて、自分なりの対処法を見つけることが重要だと感じます。 - 社会との接点
周囲の人々との関係性を築きながら、自分の立ち位置を見つけること。これは、偏見や誤解に直面する可能性がある中で、自分を守りつつ他者と協力する力を養うことを含みます。 - 未来への希望
状況を抱えながらも、自分の人生に希望や目標を持つこと。
これらの要素はすべて、当事者が自分自身をどう捉え、他者との関係性の中で自分をどう位置づけるかという、主観的なプロセスに深く根ざしています。
まとめ
「正しい理解」とは、単に正確な知識を持つことではなく、それを自分自身の体験や価値観と統合することだと考えます。精神疾患や障害を抱える当事者が自身の状況を「正しく理解する」とは、その人が自分のペースで課題と向き合い、社会との関係性を築き、未来に希望を持つことに他なりません。
また、社会が「正しく理解する」とは、多様な背景を持つ人々についての正確な知識を持つだけでなく、その知識を基に当事者を尊重し、支える環境を整えることを意味します。社会に正しい理解が広まることで、偏見や差別が減少し、すべての人が安心して生きられる世界が近づくと思います。
私たち社会ができることは、このプロセスを支える環境を整えることです。
それは、当事者の視点に寄り添い、偏見や誤解を減らす努力を続けることでもあります。
私は統合失調症の当事者として、自分自身の病気の正しい理解を進め、社会に正しい理解を広めていくと同時に、ほかの病やハンディキャップについても知識を付けて正しく理解しようと努めたいと考えています。
森の民さん コメントありがとうございます! 語り合いの時間、本当に素晴らしいです…