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センシティブな話題を避けることは、本当に「正解」なのか?

私たちの社会では、センシティブな話題を避けることが「正解」とされる場面が増えてきました。テレビでは放送禁止用語が増え、企業や公的な場では特定の話題を控えることが推奨されることも少なくありません。確かに、言葉は時として相手を傷つけることがあり、不特定多数に向けた発信では、意図しない受け取られ方をされるリスクがあります。だからこそ、放送や公の発言の場で慎重になることには一定の理由があるでしょう。

しかし、私たちが日常の対話の中でもセンシティブな話題を避け続けることは、本当に正しい選択なのでしょうか?

「触れないこと」が生む新たな壁

たとえば、障害のある人について話題にしたとき、「これはセンシティブな話題だからやめよう」と言って話を打ち切る場面があります。これは一見、配慮のように思えます。しかし、その裏には「触れない方が安全」「話すことで誤解を生むかもしれない」という不安があり、結果として障害を持つ人の存在や課題が見えにくくなってしまうこともあります。

私たちは、「話さないこと」が問題解決に向けた第一歩ではなく、むしろ問題を見えにくくし、対話を妨げてしまう可能性があることに気づくべきではないでしょうか。

社会の意思決定と少数派の声

社会の意思決定において、少数派の意見が無視されがちであることも、この問題と無関係ではありません。多数決は民主主義の基本的な手法ですが、多数派の意見だけで物事が決まってしまうと、少数派の声は届きにくくなります。

センシティブな話題を避ける風潮は、この「少数派の声が届かない」状況を加速させてはいないでしょうか? 社会の中で立場の弱い人たちの声が聞かれない状況が続くことで、気づかぬうちに「存在しないもの」として扱われてしまう危険性もあります。

では、どうすればセンシティブな話題と向き合いながら、よりよい社会を作ることができるのでしょうか?

対話を通じて、よりよい「正解」を探す

センシティブな話題は確かに扱いが難しいものです。しかし、「誤解されるかもしれない」「傷つけるかもしれない」と恐れて避けるのではなく、むしろ「どうすれば対話を続けられるか」「どんな言葉を使えば伝わるのか」と考えることが大切ではないでしょうか。

一方通行の発信ではなく、対話の中で相手の声を聞き、意見を交わすことで、お互いの理解を深めることができます。その中で、センシティブな話題についても「話してはいけないこと」ではなく、「どう話すべきか」を模索することが求められているのかもしれません。

センシティブな話題を避けることは、本当に正解なのか?
もし避けるのではなく、向き合うことを選ぶとしたら、どのような対話ができるだろうか?

あなたはどう考えますか?

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