心をこぼしたその先に、誰かがいたとしたら
SNSという場所は、不思議な空間だと思います。
誰かに向けて書いているようで、誰にも向けていない。
誰にも向けていないようで、実はたったひとりの誰かを強く思いながら書いてしまうこともあります。
ある日、ある投稿を目にして、心が少しざわつきました。
何かを言われたわけでも、直接的に傷つけられたわけでもありません。
ただ、その投稿に含まれる“誰かを選ぶ感じ”や“線を引くような言葉”に、見えない距離を感じてしまいました。
この文章も、もしかしたらその投稿を意識していると思われるかもしれません。
けれど私は、誰かを否定するためではなく、あのざわつきの中で自分が何を感じたのか、どんな言葉を届けていきたいのかを、そっと見つめ直したくてこの文章を書いています。
匂わせは、ときに誰かを傷つける
名指しはしていなくても、明らかに誰かを意識しているような投稿があります。
そうした言葉は、読む人によっては「自分のことでは?」と不安になったり、「なぜこんな書き方をするのだろう」と戸惑わせたりすることもあります。
その投稿の背景には、正直な気持ちや苦しみがあるのかもしれません。
けれど、見えないかたちで誰かを傷つけてしまうことがあります。
伝えたい相手に伝わらず、伝わらなくてよい相手に届いてしまう。
それが「不特定多数」という空間の難しさであり、怖さでもあると感じています。
だからこそ私は、そうした誤解をできるだけ生まないようにしたいと思っています。
意図せず誰かを振り回してしまうような言葉を、慎重に見つめていきたいのです。
私が気をつけていること
最近は、投稿する前に自分自身に問いかけるようにしています。
「これは誰かに伝えたい気持ちなのか、それとも自分の心の整理のためなのか?」
「もし誰かを思っているのなら、それをわざわざ公に書く必要があるのか?」
「この言葉を読んだ誰かを、不安にさせたり誤解させたりしないだろうか?」
その問いかけを通して、私は少しずつ「発信」と「感情」との距離感を学び始めています。
それでも、心が揺れることはあります。
誰かに言いたくなる気持ち、わかってほしいという衝動、あふれてくる感情。
そうしたときには、ノートに書いてみたり、信頼できる人にそっと話したりします。
「誰に、どう伝えるか」を選ぶことも、自分と誰かを守るひとつの方法なのだと思います。
わたしが目指す言葉のかたち
SNSはとても便利で、心強くもあり、そして時に残酷な場所でもあります。
だから私は、誰かを無意識に傷つけるよりも、たとえ誰にも届かなくても、
自分と誰かをそっと守るような言葉を発していきたいと思っています。
たったひとりの誰かに届けば、それでいいのです。
けれど、その「誰か」を選ぶふりをして、他の人を切り捨てるような投稿ではなく、
心の奥でそっとつながれるような言葉を選んでいきたいと思います。
私にとって「不特定多数に届ける」というのは、すべての人に優しくすることではありません。
けれど、誰かを遠ざけたり、試したりしないことは、きっと大切にしていきたい姿勢です。
SNSを、心のつながりの場として
SNSは、ときに誤解や孤独を生んでしまう場所かもしれません。
けれど私は、そうではなく、心の当事者どうしがつながれる場であってほしいと願っています。
安心して気持ちを表現できて、互いを大切にしあえる空間。
私は「心の広場」というSNSをつくりました。
そこでは、誰もが役割から解き放たれ、「人」としてつながることを大切にしています。
だからこそ、発信するときには、
自分の言葉がどのように届くのかを、これからも丁寧に考えていきたいと思っています。
本当に伝えたい相手に、やさしく届くように。
そして、誰かがその言葉に触れたとき、ほんの少しでも「つながっている」と感じられますように。
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