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慢心と成長―老いを年輪として受けとめる視点

慢心がもたらすもの

「慢心」という言葉があります。何かがうまくいっているとき、自分はもう十分にやれている、これ以上は大丈夫だ、という気持ちが、ふと心に芽を出すことがあります。でもその慢心の中にいると、私たちの視野は知らず知らずのうちに狭くなってしまうのかもしれません。

本来であれば、素直に、真摯に、誠実に物事に向き合っていれば見えていたであろう気づきや学びが、見えなくなってしまう―そんな感覚を持つことがあります。

盛者必衰という視座

「盛者必衰(じょうしゃひっすい)」という言葉もあります。どれほど栄えているものでも、必ず衰えの時はやってくるという、古くからの知恵です。人の営みもまた、ずっと盛況でいられるわけではありません。絶え間ない上り坂など、人生には存在しないのだと思います。

だからこそ、「今が良い状態だからこそ、次に来る変化を忘れないでおこう」と意識のどこかで思い出すことが、大切なのではないかと思います。慢心せず、謙虚に歩み続けること。それは、人生の姿勢としても、とても大事なことのように感じます。

成長は止まるのか?

けれども、こうも思います。では「衰える」とは「成長が止まること」なのだろうか、と。

たとえば身体的な変化を思い浮かべると、人は年を重ねるにつれて、筋力が衰えたり、体のキレが鈍くなったりします。それを「成長の終わり」と捉える人もいるでしょう。でも私は、そうは思いません。

老いもまた、成長のかたち

年齢を重ねていくことは、ある意味で「老い」と呼ばれます。でも、たとえば手にしわが増え、髪に白いものが混じっていくこと。それは、木が年輪を一つずつ刻んでいくようなものに私は感じます。

木が年を重ねるように、人もまた、経験という年輪を心に刻んでいくのです。それは決して「成長の終わり」ではなく、むしろ「別のかたちの成長」であるように思います。

精神の年輪

もちろん、精神的にも退化してしまう場合がないとは言い切れません。認知機能に困難が生じることもあるでしょう。でも、それでもなお、人の内側にある「深まり」や「優しさ」、「受けとめる力」は、年齢とともに増していくように感じます。

それは、若いころには持ち得なかったような「ゆるし」や「おおらかさ」かもしれませんし、自分の弱さも含めて他者と共に生きる力かもしれません。

成長を積み重ねるグラフとして

私のなかでイメージがあります。「盛者必衰」をグラフにするなら、横軸を時間、縦軸を盛況の度合いとすれば、山のような形になるでしょう。はじめは上り坂、やがてピークがあり、そして下り坂がくる。

けれど、成長という視点でそれを見たとき、そのグラフの「面積」―つまり、その山の形を積分したようなものが「本当の成長のかたち」ではないかと思うのです。

どんなに下り坂があっても、その人が歩んできた時間の厚みは、失われることはありません。積み重ねたものは、確かにそこに在り続けます。

終わりに

私たちはつい、「上り続けること」や「成果を出すこと」に価値を見出してしまいがちです。でも、成長とは、もっと深く、もっと広がりのあるものかもしれません。

老いていくこともまた、心に年輪を重ねていく営みとして捉えられるならば、人生のどの段階も、意味と価値を持って輝いているのだと思えるのです。

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