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科学がもたらす信頼のかたち

現代社会では、「見える化」や「エビデンス化」されたものが重視され、人々はそうしたものに信頼を置きやすくなっています。目に見える証拠や、数値に裏打ちされた再現性のある事実でなければ、なかなか信じてもらえないという傾向は、科学の発展とともに強まってきたように思われます。これは一種の「科学信仰」と呼んでもよいかもしれません。

もちろん、科学は現時点での真理を、明確な手法と再現性によって示す大切な営みであり、その成果によって私たちの暮らしは大きく進歩してきました。その意義は疑いようがありません。

「正しさ」の物差しはひとつだけか

しかし、科学的に証明されたものだけを「正しさ」の基準とする姿勢には、私は少し疑問を感じています。科学の限界は、常に「今わかっている範囲」にとどまっていることです。つまり、まだ解明されていないこと、データでは捉えきれない人の心や在り方に対しては、科学だけでは導ききれない答えもあるのではないかと感じます。

薄れゆく宗教への信仰

今の日本社会では、宗教というものに対する信仰は希薄になってきているように感じます。宗教という言葉には、ときに非合理的、あるいは時代遅れといった印象がつきまといます。しかし、私はそうした宗教的な価値観や教えの中にも、生活に役立つ知恵が多く含まれていると感じています。

古代の知恵を生活に活かす

宗教的な教えには、たとえばたとえ話を通じて、わかりやすく人生の指針を示すものが多くあります。これらは、長い時間をかけて人間の営みの中から生まれ、練り上げられてきた知恵の結晶だと言えると思います。

科学で証明されたことだけを取り入れて生きるよりも、こうした宗教的な教えにも耳を傾け、自分の生活に活かすことで、見える世界も見えない世界も含めて、より広い視野で物事を捉えられるようになると私は思います。

わからないものに向き合うために

人生には、科学ではまだ説明のつかないことや、数値では割り切れない出来事が数多くあります。そうしたとき、宗教的な物語や価値観は、自分がどのような姿勢でそれに向き合えばよいかを、静かに示してくれることがあります。すべてを自分の思考だけで決めるのではなく、そうした知恵に身を預けることも、ときには必要だと感じます。

二つの「信」を持って生きる

私は、科学による「現時点での真理」と、宗教が示す「真理を求め続ける姿勢」のどちらにも深い価値があると感じています。そのどちらかに偏るのではなく、両方を柔軟に信じ、必要に応じて使い分けながら生きていくことが、これからの私にとって大切なのではないかと思っています。

正しさや真理を求める道に、ただ一つの答えはありません。だからこそ、科学と宗教という二つの光を携えながら、自分の人生を丁寧に歩んでいきたいと願っています。

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