クリックが励みになります♪

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

記事一覧

理想という言葉を、もう一度信じてみたい

「それって理想論だよね」
あるときメンターにそう言われて、私は少し戸惑いました。驚いたというより、心の奥からじわじわと反発のような気持ちが湧いてきたのです。

——理念に理想を書いて、何が悪いんだろう?

そんなふうに感じた私は、「理想」という言葉の意味を、改めて見つめ直してみたくなりました。

 

「理」とは何を示すのか

まずは、「理想」の「理(ことわり)」という言葉について考えてみました。

古語において「理」とは、物事の筋道や道理、あるいは自然の法則を意味していたそうです。語源には、「玉の筋目を磨いて明らかにする」という意味も含まれていたといいます。

つまり「理」とは、混沌としたものの中から筋を見出し、それを磨いて明確にする行為でもあるのです。ただの論理や合理性ではなく、人や自然の在り方に即した、深い整合性を示す言葉なのだと感じました。

 

理想とは、理にかなった想い

「理」に「想い」が加わって、「理想」という言葉になります。

理想とは、ただの空想や夢物語ではありません。道理に根ざした想像力であり、現実の中に希望のかたちを描こうとする、筋道のある「想い」なのです。

現実の矛盾や困難を知りながら、それでも「こうありたい」と願う姿勢。
それは無責任な空想ではなく、人が世界に意味と方向を与えようとする営みだと、私は思います。

 

理想論という言葉にひそむ違和感

それでも、「理想論」という言葉には、ときに否定的な響きがまとわりついています。

「現実を見ていない」「そんなのは綺麗ごとだ」と言われるように、理想を語ることが、まるで現実逃避のように受け取られてしまうことがあります。
実際、理想を語ることで浮いてしまったり、白い目で見られたりする場面もあります。

けれど、私はこう思うのです。
本当に理にかなった理想であれば、それは現実から目を背けているわけではありません。
むしろ、現実の痛みや矛盾を正面から見つめたうえで、「それでもこうありたい」と手を伸ばしているのではないでしょうか。

 

理想ですらないものを「理想論」と呼んでいないか?

ここで、私はふと立ち止まりました。
もしかすると、「理想論だね」と切り捨てられてしまう言葉の多くは、本当の意味での理想ですらないのではないか、と。

理(ことわり)を欠いた「想い」だけでは、空想や願望にすぎません。
筋道も責任もなく、具体的な行動や他者との関係性もない「想像」は、理念とは呼べないと思います。

「理念」とは、「理」と「念」。
つまり、理にかなった深い思慮であり、現実へのまなざしを持ち、社会との摩擦を織り込みながら掲げる想いです。
現実との接点を見失ってしまった時点で、それはもう理念ではなく、理想ですらなくなってしまうのかもしれません。

 

理想を語るとは、現実に誠実であるということ

理想は、本来、私たち人間の想像力が世界に光を当てる営みです。
だからこそ、「それは理想論だよ」と言われたときには、むしろチャンスなのかもしれません。

自分が語っている理想が、現実とどれだけつながっているのか。
筋道はあるのか、対話の余地はあるのか。
そう問い直してみることで、その理想は、より強く、確かな理念になっていくのだと思います。

理想を語るということは、現実に対して誠実であるということ。
そう信じながら、私はこれからも、自分なりの理想を言葉にしていきたいです。

クリックが励みになります♪

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です