「どうやって、人を見極めるか」
そんな問いに、私はふと立ち止まりました。
人を見極める必要は、確かにあります。
たとえば、配偶者になる人が自分とうまくやっていけるかどうかは、とても大事なことです。
また、威圧的で暴力的な傾向のある人を見極めなければ、自分自身が深く傷ついてしまうこともあります。
友人関係においても、自分を対等に扱ってくれる人を見極めたほうが、より良好な関係を築ける気がします。
見極める力=選球眼
理想の人物像を明確に持っている人ほど、目の前の人が「付き合うに値するかどうか」を、事細かに見極めようとする傾向があります。
その「見極める力」は、いわば“選球眼”のようなものだと思います。
次々と投げられてくる球を、打つかスルーするか、一つひとつ選んでいく。そんな選択の連続です。
見極めすぎると、出会いを逃すこともある
私はこう思います。
「素晴らしい選球眼を持っていることに越したことはありません。
しかし、その選球眼が出会える人の幅を狭めてしまうこともまた、確かなのです。」
私たちは、無意識のうちに「この人と人として付き合うかどうか」を選んでいるのかもしれません。
そしてその選択が、意識的になればなるほど、付き合える相手を選び取ることにもつながります。
けれども、見極めようとする意識が強すぎると、どんな球が来ても「これは打てない」と感じてしまい、誰ともつながれない、という状況に陥ることもあります。
見極めることと、見極めないことの両立
だからこそ私は、こう考えるようになりました。
見極めるためのボーダーラインは、しっかりと自分の中に持つこと。
でも、あえて見極めない姿勢も、大切にしていきたいのです。
どんな球も打たないまま終わってしまわないように。
本当はつながれるかもしれない誰かと、出会うチャンスを自分で狭めないように。
そんな思いを胸に、私はこれからも、人との関わりに向き合っていきたいと思っています。
naoさんコメントありがとうございます。 おっしゃる通り、状況によっては「わから…