こんにちは。
本日は日常の些細な会話から、自分なりに考えを深めたことを共有させてください。
会社での1シーン
その日は外部から工場の見学に来客の予定がある日でした。
私は工場で見学のラインを担当していたため、その日の朝にきれいな作業服を選び持っていきました。
現場作業が一通り済んだのちに綺麗な作業着に着替えをして、お客さんを待っていました。
そんな中、同僚と上司の会話が聞こえてきました。
「今日綺麗な作業服忘れちゃいましたー。最初のうちは気を遣って綺麗な作業服を用意してましたけど、現場作業をしている人が綺麗な作業着来ているのも場違いですもんね。」
「確かにそうだよね。気にしなくていいと思うよ。」
そのワンシーンにどこか違和感を持った私は、悶々としつつ、見学会を終えました。
自然な身なりvs不自然な身なり
先ほどのワンシーンは極端な例かもしれません。
確かに工場で頑張って作業をしている人間がピシッとした作業着を着ていては場違いではあるのは確かです。
よれよれで、油汚れの付いた作業着でいた方が自然ですよね。
でも、私は、朝綺麗な作業着を選び、それをわざわざ現場作業の後に着替えて、見学者を迎えました。
そうしたのはなんでだろう。
同僚が言った自然な身なりと私の見学者を迎えた不自然な身なり。
いったい何が違うのでしょう。
私はその違いが「相手を意識した身なりかどうか」であることに気が付きました。
私は見学者が客先のお偉い方であると事前に聞かされていました。
だから普段は身につけない綺麗な作業着を身につけたのです。
偉い人々に媚びるつもりでそうしたわけではなく、それは、見学に来た人々に向けた敬意を表すためにそうしたのかな。
と振り返ると思います。
見学者という相手がいたその日に、相手に対して、
「あなた方の存在を意識しています。敬意を示した身なりをしています。」
というように相手を尊重する姿勢が取れたと思います。
同僚が選んだ自然さと私の選んだ不自然さ。
私は不自然であっても、今回選んだ選択をこの先もしていきたいです。
身なりを整えること
今回の一件を通して、身なりを整えることについて考え、気づくことがありました。
それは身なりを整えることは自分自身を大切にすることに加えて、相手を大切にすることに繋がるということです。
自分の身なりを整えることは、自分のこころや身体の状態に目を向けて、それをいい状態に整えるということに思います。
それに加えて、先ほどのように相手を敬う気持ちを表現することも身なりを整えることだと思いました。
身なりは言い換えると外見とも言えます。
外から見た自分。
つまり相手から見た自分。
身なりを整えるとは、相手を意識して、その相手から見た自分が整っているように支度することでもあるのだと思いました。
この先、そんなことも意識して身なりを整えて生活していきたいと思いました。
身なりに意識がいかなかった時期
ここまで、私の今回の気づきについて書いてきました。
しかし、数年前を振り返ると、こころの調子を崩し、統合失調症を発症した時期には、
相手を尊重し敬意を表すために身なりを整えることを意識するなどはおろか、
自分の調子を整えるための身なりを整えることさえもままならない状態でした。
症状と闘っていて、そういったことに意識を向ける余裕がなかったのだと思います。
だから、身なりを整えることが出来ない人がいても、責めないでほしいです。
今回身なりを整えることが相手を大切にすることに繋がると書きましたが、
身なりを整えられないから相手を大切にしようとしていないわけでは決してないのです。
症状と闘っている仲間やそのご家族には、
身なりを整える余裕が生まれるまでゆっくり休むこと、エネルギーを蓄える期間を設けることをお願いしたいです。
余裕が出てきたら、自分の内面や外見に目を向けて、整っていきましょう!
最後に
うまくまとまりませんが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。