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第6回:心が安らぐ仏教の教え~喫茶去を心掛ける~

こんにちは。

久しぶりに仏教の教えシリーズです。

今日は禅の教えである、「喫茶去(きっさこ)」という言葉についてご紹介です。

喫茶去とは

喫茶去という言葉は、一見難しそうに感じるかもしれません。

ですがどうぞご安心を。

この「喫茶去」という言葉、禅の言葉なのですが、単純に、「お茶をどうぞ」という意味なんです。

「お茶をどうぞ」に含まれた深~い話を今日皆さんにお伝え出来たら嬉しいです。

喫茶去の語源

喫茶子の語源については中国の禅僧・趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の言葉に由来するそうで、こんな逸話があるそうです。

ある僧が趙州を訪ねた際、「今までここに来たことはありますか?」と尋ねられ、「はい、あります」と答えると、「では、お茶をどうぞ」と言われました。別の僧が同じように訪ね、「今までここに来たことはありますか?」と尋ねられ、「いいえ、ありません」と答えると、やはり「では、お茶をどうぞ」と言われました。

この逸話から、どのような教えを読み取れるでしょうか?

それは、相手の立場や状況に関わらず、分け隔てなく接することの大切さを表す言葉として解釈することが出来ます。

私も、度の強い色眼鏡を掛けて人と接しないよう、日々気を付けたいと思っています。

ここで、「度の強い」と表現したのは、誰しもが少なからず色眼鏡を掛けて物事を見ているからです。

人は、究極的には自分の主観でしか物事を認識できません。

だからこそ、自分の見方が偏っていないかを振り返ることが、大切ではないかと思います。

誰にでも平等にお茶を出す。

そんな姿勢を大切にしていれば、お茶を飲みながら話をしているうちに、自然とその人がどんな人なのか見えてくるものだと思います。

だからこそ、先入観にとらわれず、自分自身の尺度でその人を見極めることを心掛けたいと思いました。

そうすれば、素敵な出会いが増えていくような、そんな気がします。

日常の行いとしての喫茶去

喫茶去は、「お茶を飲む」という日常の行為の中に、悟りの境地を見出すことを示唆しています。

仏教では、特別な修行だけでなく、日常生活のあらゆる行為の中に悟りへの道があると考えられています。

喫茶去は、お茶を飲むという何気ない行為の中に、心を落ち着け、今この瞬間に集中することで、悟りに近づくことができるという教えを表しているそうです。

私がこのことに関連して、大切にしたいと思っている習慣があります。

小池龍之介さんの考えない練習 練習シリーズ (小学館文庫) で紹介されている、ご飯の食べ方です。

考えない食べ方レッスン前編 

ひとつひとつの動作に鋭敏に意識を置く  食べものを口に入れるためには動作が必要です。その動作ひとつひとつをぼんやり考えごとをしながらではなく、鋭敏に意識を置いて行ってください。  手の筋肉の動きを感じ取りながら、手を伸ばします。食器をつかんだ際には、いま触れたなという触感を感じ取ります。そうして口に持っていきます。口に入ってきたという触感、舌に触れた触感を感じます。  しかし、そこですぐに噛み始めてしまわずに、手に持った食器をいったん元の場所に戻しましょう。  お箸を使って口に何かを入れたら、お箸もいったん下に置いてください。置きながら噛むとか、お箸を持ちながら噛むというようなことをすると、意識がいろいろなところに分散してぼんやりしたすきに余計な思考が始まり、食べることに集中しにくくなくなります。

小池龍之介. 考えない練習 練習シリーズ (小学館文庫) . 株式会社小学館. Kindle 版.

食べることに集中すること。

それが今に集中する、「マインドフルネス」の一種だと感じます。

マインドフルネスとは、今この瞬間に意識を集中することで、雑念を払い、心を穏やかにする瞑想法です。

今に集中できると、雑念から解き放たれ、心が軽くなるのを感じられるのです。

お茶を飲んだり、ご飯を食べたりという、日常のおろそかにしてしまいがちな動作にも、しっかりと意識を向けていくことが大切なのだと、感じました。

心の安らぎとしての喫茶去

喫茶去は、「心を落ち着けて、お茶を味わいなさい」というメッセージも込められています。

現代社会は、ストレスや不安を抱える人が多く、心の安らぎを求める声が高まっています。

喫茶去は、お茶を飲むことで心を落ち着け、穏やかな気持ちを取り戻すことを促しています。

これは、仏教の教えである「心の平安」と深く関わっているのです。

まとめ

喫茶去という言葉には、「今この瞬間」を大切にすること、そして相手に分け隔てなく接することの大切さが込められています。
お茶を差し出すというシンプルな行為に込められた平等な心遣いは、私たちの人間関係をより豊かなものにしてくれると感じます。


相手の立場や状況にとらわれず、先入観を持たずに接することで、自然と心が開き、新しい出会いや気づきが生まれるはずです

また、お茶を飲む、食事をする、といった何気ない行動にも心を込めることで、自分自身と向き合い、心を穏やかにすることができるのです。

私たちはつい忙しさに流され、目の前のことを深く味わうことを忘れがちです。

「喫茶去」を日々の中に取り入れて、平等な心で今を丁寧に生きることを、私たちも心掛けていきませんか。

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