精神疾患からのリカバリーにおける「信じる確率」の育て方
「よくなってきてるんじゃない?」
そんなふうに声をかけられたとき、私はうれしいというより、戸惑ってしまいました。
――そんなはずはありません。昨日は調子が悪かったし、今朝も気分は重かったのです。
むしろ、よくなっているふりをしているだけなのではないか。そんなふうに感じていました。
けれど今は、こう言えます。
あのときの私は、ベイズ推定の使い方を間違えていたのだと。
主観確率で回復を進める
ベイズ推定という言葉があります。
簡単に言えば「新しい情報が入ってきたときに、それまでの予測(確率)を更新する方法」です。
私たちは日々の暮らしのなかで、無意識のうちにこの「更新」を繰り返しています。
そしてこの考え方は、精神疾患からのリカバリー、つまり回復の道のりにおいて、とても大切な意味を持っていると感じます。
たとえば、少しだけ調子がいい日があったとします。
ベイズ的に言えば、それは「自分は回復できるかもしれない」という仮説を強める“証拠”となり得ます。
しかし、その証拠を「たまたまだ」と処理してしまえば、回復の確率は上がりません。
逆に、小さな悪化を「やっぱり自分はだめだ」と捉えてしまえば、回復の可能性に対する確率はどんどん下がっていきます。
あえて目を背ける勇気も必要
私はあるとき、「ネガティブな情報ばかりを拾っている」ことに気づきました。
「また寝込んでしまった」「人と会えなかった」「あの発言はまずかったかもしれない」――
そんな“証拠”ばかりを拾い上げ、頭のなかで「回復できる確率」をどんどん下げていたのです。
そんなある日、こう言われました。
「ちょっと外に出られただけで、すごい進歩じゃない?」
最初は「たまたまだよ」と反射的に返してしまいました。
でも、そのときふと思ったのです。
もしこれを「回復の兆し」と信じてみたら、何かが変わるのではないかと。
それから私は、ポジティブな情報に重みを置くという選択を意識するようになりました。
ベイズ推定で言うならば、自分の信じる確率を、あえてポジティブな方向に更新してみたのです。
情報の重みづけは、自分で選択可能
ベイズ推定の考え方が教えてくれるのは、
「情報の重みづけは、自分の選択である」ということです。
そして精神のリカバリーとは、正しさを証明することではなく、
「自分が生き延びるための、意味ある仮説」を信じ続けることなのではないかと私は感じています。
だから私は、今もこう決めています。
- ポジティブな情報には、敏感に反応してしっかりと受け止める
- ネガティブな情報には、「ある」と認めつつ、あえて軽く流す
これを他人から見れば、「現実逃避」と思われるかもしれません。
けれど、私にとっては「現実を生き抜くための選択」なのです。
信じる確率を、少しずつ育てていく
回復は、ある日突然訪れるものではありません。
それは、毎日の小さな選択や、解釈の仕方、そして「信じる確率」の更新の積み重ねです。
私は、ベイズ推定のように回復しているのだと思います。
昨日より少し、今日の自分を信じてみる。明日も、その少し先も、信じてみる。
たとえそれが、「選択的な希望」にすぎなかったとしても、
私はその仮説を信じて、明日を迎えていきたいのです。
mayoiさん コメント頂きとっても嬉しいです。 関係性の中で、お互いが自分も相…