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零れ落ちるものに、手を伸ばすということ

ころたん心のケアの会にて

抽象的に語るということの力と限界

「リカバリーとは何か」—
その問いかけは、とても大切で、同時にとても難しいものだと感じます。
知識としてのリカバリー、定義としてのリカバリーには、大きな意味があります。
それは他者と共有するための言葉であり、制度や支援のあり方を問い直すための軸にもなります。

けれど、そうした抽象的な言葉を使って語ろうとするとき、
ふと、自分の声がどこか遠くへいってしまうような感覚に包まれることがあります。
まるで、自分の中に確かにあったはずの体温や揺らぎが、言葉の網に絡め取られて、どこかへこぼれ落ちてしまうような——そんな感覚です。

私が話したかったこと

ころたん心のケアの会で「リカバリーについて話してほしい」と声をかけていただいたとき、
私はとてもありがたく、そして真剣にそのテーマと向き合いました。

本当は、「あのとき」の話をしたかったのです。
言葉がうまく出てこなくて、沈黙ばかりが続いてしまった診察室でのこと。
支援者の何気ないひとことに、涙があふれた帰り道のこと。
それらは、私にとってのリカバリーのかけがえのない一部でした。

けれど私は、それらの経験と「リカバリーの定義」とを、うまく結びつけて語ることができませんでした。

経験と定義を結びつける願い

私が語りたかったのは、単に「わたしの物語」ではありません。
また、知識や定義だけを伝えたかったわけでもありません。

私はむしろ、「リカバリーとはこういうものだ」とされる定義と、
「私がどうやって回復の感覚を見出してきたか」という個人的な経験とを、
自分なりの言葉で交差させながら語りたかったのです。

そうすることで、参加者それぞれが「自分にとってのリカバリーとは何だろう」と、
静かに立ち止まって考えるきっかけになればと願っていました。

けれどそのときの私は、抽象のレベルにとどまったまま、
語るべき体験をうまく織り込むことができませんでした。
まるで、言葉にしたかったものが指のすき間からすり抜けていくような、
そんな感覚だけが残ったのです。

零れ落ちるものを、見過ごさずにいること

抽象化には、大きな力があります。
けれどその過程で、語られないまま残るものもあります。
こぼれ落ちてしまう経験、語りきれなかった感情、それらの中にこそ、
「その人だけのリカバリー」が宿っているのかもしれません。

次にまた、同じような場に身を置くことがあったなら、
私はたとえうまく話せなかったとしても、心に残っている一つの風景を語ってみたいと思います。
リカバリーという言葉の奥にある、静かな時間と揺れを、
自分の声で差し出してみたいのです。

たとえ何かがこぼれ落ちてしまったとしても、
それに気づく感性と、すくい直そうとする姿勢だけは、
これからも大切にしていきたいと思っています。

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