新シリーズ『比べる心を紐解く。多次元の世界を取り戻す連載エッセイ』
第2回 なぜ私たちは世界を一本の線で見てしまうのか
こんにちは。「比べる心を紐解く。」第2回です。
前回は、私たちが世界を一本の物差しに押し縮めてしまう「スカラー化」について考えました。
まだお読みでない方は、先にこちらからどうぞ。
第1回「比べてしまうという宿命」
本来は多方向に伸びる豊かなベクトル場であるにもかかわらず、私たちの心は、ついそれを一本の評価軸に変換してしまいます。
では、そもそもなぜ、心はそんなことをしてしまうのでしょうか。
比べることが苦しみを生む場面があるにもかかわらず、私たちはなぜ、何度も同じように比較してしまうのでしょうか。
今回は、その「心のクセ」をもう一段、内側から見つめていきたいと思います。
■ 比較は「複雑な世界を扱うための近道」
私たちが生きている世界は、本来とても複雑です。
人と人の関係も、出来事の背景も、感情の動きも、多層的で広がりがあります。
しかし心は、その複雑さをそのまま受け止めることが得意ではありません。
限られた認知のリソースを守るために、世界を「なるべく単純な形にまとめたい」と常に働いています。
心理学では、これを「認知的経済性」と呼ぶことがあります。
複雑な多次元の現象を、そのまま理解しようとすると心が疲れてしまうため、心は自然と、
- 良い/悪い
- 上/下
- できた/できなかった
といった「単純な判断軸」へまとめようとします。
スカラー化は、実は心が自分を守るための「節約」の仕組みでもあるのです。
■ 比較は「自分の位置を知るための地図」
人は社会的な生き物です。
社会の中でどこに立っているのかを把握することは、安心感と深く結びついています。
「あの人よりできているから大丈夫」
「他の人と比べて遅れている気がする」
「みんなはどうしているのだろう」
こうした比較は、自分の「位置情報」を得るための行為とも言えます。
位置がわかると、不安が少し減るからです。
比べることは、心が社会の中で生き残るための「ナビゲーション装置」なのかもしれません。
しかし、その地図はあくまで「簡略化された地図」であり、本来の多次元的な現実のすべてを映しているわけではありません。
■ 比較は「自分を守るための仮の避難所」
私たちは、自分の価値をすぐに外側へ預けてしまいます。
- 他人より上なら安心
- 他人より下なら不安
この構造はとても脆く、危ういものですが、短期的には「心を守る力」を持っています。
外側の評価軸に自分を乗せることで、とりあえずの安定や、行動のエネルギーが手に入ることもあります。
ただし、これも「仮の避難所」にすぎません。
そこに長くとどまるほど、本来の自分の輪郭は曇り、見えにくくなってしまいます。
■ スカラー化は便利だが、その代償は大きい
実際、スカラー化には大きなメリットがあります。
- 判断が速くなる
- 世界を理解しやすくなる
- 効率的に比較できる
- 不安が一時的に減る
しかし、その代償も存在します。
- 多次元的な豊かさが見えなくなる
- 質的な違いが消えてしまう
- 他者も自分も「一本の軸」でしか見られなくなる
- 苦しさやざわつきが増える
便利だけれど、危うい。
世界を一本の線にするという行為には、そんな二面性があります。
■ では、どうすれば多次元の世界を取り戻せるのか
比較する心をただ否定するのは簡単ですが、心には心の事情があります。
比べてしまうのは、弱さではなく、人間の自然な働きでもあります。
大切なのは、「比較してしまう心」を理解したうえで、どのように世界の多次元性を取り戻していくかを考えることです。
たとえば、
- 量ではなく「質」に目を向ける
- 早い/遅いではなく「向き」に注目する
- 他者と比べるのではなく「自分の軸」を知る
- 一本の物差しでは捉えられない「本来の姿」を思い出す
といった視点があるかもしれません。
これらは、第3回以降で、さらに丁寧に紐解いていきたいと思います。
■ おわりに
比べる心には、必ず理由があります。
その理由を知り、心の働きを理解することは、世界を再び多次元的に見るための第一歩です。
次回は、比較のクセを少しずつ手放し、「方向性」で世界を見るための視点を深めてい
















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