不確実性に耐える

前回の記事では、「必ず良くなります」という言葉について考えました。
未来は誰にも分かりません。
だから本来、「必ず」という保証はできないはずです。
それでも、人は未来に向かって歩いていきます。
保証がないから進めないのではなく、保証がなくても進んでいく。
私は、そこに大切な力があるように思います。
それは、「不確実性に耐える力」です。
私たちは確実性を求める
人間は不確実な状態が苦手です。
先が見えない。
相手の気持ちが分からない。
結果がどうなるか分からない。
そんな状態は不安になります。
だから私たちは、少しでも確実性を手に入れようとしてきました。
技術の進歩も、その一つかもしれません。
例えば、昔は手紙を書いて返事を待つしかありませんでした。
相手が読んだのか。
どんな気持ちで受け取ったのか。
返事は来るのか。
しばらく分からないまま待つしかなかったのです。
そこに電話が登場しました。
相手の声をその場で聞くことができるようになりました。
さらにLINEが登場し、メッセージが届いたことも、既読になったことも分かるようになりました。
相手の都合や反応までも、以前より見えやすくなっています。
確かに便利です。
けれど、その便利さと引き換えに、私たちは「分からないまま待つ力」を少しずつ失っているのかもしれません。
すぐに答えを求める社会
分からないことがあると、すぐに検索できます。
気になることがあれば、すぐに調べられます。
SNSを開けば、誰かの意見も見つかります。
答えにたどり着く速度は、どんどん速くなっています。
けれど人生には、検索しても出てこない問いがあります。
この選択でよかったのか。
あの人は何を考えているのか。
自分はこの先どう生きたいのか。
病気は良くなるのか。
この苦しみに意味はあるのか。
そうした問いには、すぐに答えが出ません。
それでも私たちは、その問いと共に生きていかなければなりません。
だからこそ、「すぐに答えを出す力」だけではなく、「答えが出ないまま抱えていく力」も必要なのだと思います。
不確実性を楽しむ
私は、未来が分からないことは不安であると同時に、希望でもあると思っています。
未来が決まっていないからこそ、人は変わることができます。
出会いもあります。
予想していなかった出来事も起こります。
もし未来が完全に決まっているなら、希望もまた存在しないでしょう。
リカバリーも同じです。
良くなる保証はありません。
けれど、悪くなる保証もありません。
だからこそ、人は今日という一日を積み重ねることができます。
不確実性に耐えるとは、不安を消すことではありません。
分からないことを分からないまま抱えながら、それでも歩みを止めないことです。
そして時には、その分からなさそのものを楽しむことです。
おわりに
私たちは、便利で効率的な時代を生きています。
だからこそ、すぐに答えが出ないことに弱くなりやすいのかもしれません。
けれど人生の大切なことほど、すぐには答えが出ません。
人との関係も。
自分自身のことも。
未来のことも。
分からないまま待つ。
分からないまま信じる。
分からないまま進む。
そんな力を、私はこれからの時代にこそ大切にしたいと思っています。
未来の保証がないからこそ、人は希望を持てる。
不確実性とは、恐れるだけのものではなく、まだ見ぬ可能性そのものなのかもしれません。















サトシさん コメント嬉しいです。 そういっていただき有難うございます。 「諦観」…