「鋼のメンタル」と聞くと、強靭で揺るがない心の持ち主をイメージします。どんな困難に直面しても凹まず、堂々と自分を保てる様子は、まるで強くて美しい鋼のように思えるでしょう。しかし、私はこの「鋼のメンタル」という言葉に少し違和感を覚えています。それは本当に理想的な強さなのでしょうか?
鋼のメンタルの持つ危険性
鋼のメンタルを手に入れるためには、時に「痛みを無視する力」が求められます。凹まないためには、自分が感じる痛みを封じ込め、傷つかないように心を固くする必要があるからです。
一見、それは良いことのように思えるかもしれません。しかし、自分の痛みを無視することは、やがて他人の痛みにも気づけなくなることにつながります。たとえば、誰かが苦しんでいても、それを見過ごしてしまう。自分の「強さ」を維持するあまり、周囲の人々の気持ちに寄り添えなくなるのです。
結果として、自分は鋼のように強いと感じていても、気づけば周りには誰もいなくなってしまうかもしれません。そして孤立することで生まれる孤独感に耐えるのは、想像以上に難しいものです。
さらに、鋼は硬いがゆえに、靭性(粘り強さ)が低い場合もあります。つまり、柔軟性がないために、一度折れると簡単には元に戻らないのです。
私が目指す理想のメンタル
では、理想的なメンタルとはどのようなものでしょうか?私はこう考えます。
私が目指すのは、 「凹むことを許容し、傷つくことを認めるメンタル」 です。
強くあるために痛みを無視するのではなく、痛みをしっかり感じ取る。そして、それを自分でケアして癒やしていく。自分の痛みに向き合うことで、他人の痛みにも気づけるようになるのです。
柔軟性のあるメンタルは、柔らかくしなやかです。困難にぶつかったときも、一度は凹んで傷つくかもしれませんが、無理に硬くなる必要はありません。自分でケアすることで、少しずつ元に戻り、また前に進むことができます。そうしたメンタルは、他人の心にも優しく寄り添うことができると思うのです。
強さとは何か?硬さと柔軟さのバランス
結局のところ、本当の強さとは、必ずしも鋼のような硬さだけを意味するわけではありません。 確かに、状況によっては硬く揺るがない意志が求められることもあります。しかし、それだけでは折れてしまうこともある。時にはしなやかに受け流し、適応する柔軟性が大切になるのではないでしょうか。
強さにはさまざまな形があります。
困難を跳ね返す強さもあれば、傷つきながらも立ち直る強さ、他人の痛みに寄り添いながら前に進む強さもあるでしょう。その強さがどんな形であれ、柔軟性を持つことで、より持続的なものになるのではないかと私は思います。
「鋼のメンタル」ではなく、しなやかでケアできるメンタルを目指す。
それは決して弱さではなく、むしろ長く続く強さの一つの在り方なのかもしれません。
まとめ
「鋼のメンタル」という言葉にとらわれず、自分も他人もケアできる柔軟な心を目指してみませんか?痛みを感じ取れるからこそ、人の優しさや支えを素直に受け取れる。そして、そういった経験が心をよりしなやかに、より強くしてくれるのではないでしょうか。
あなたが目指すメンタルは、どんな形をしていますか?
森の民さん コメントありがとうございます! 語り合いの時間、本当に素晴らしいです…