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対話的であることについて考える

対話とは何か

私は最近、「対話的であること」とはどういうことなのか、よく考えるようになりました。

対話的であるとは、ただ人の話を聞くだけではありません。相手の言葉にきちんと耳を傾け、その話を一度自分の中で受けとめたうえで、自分の意見を自分の言葉として返していく。そのようなやり取りの中で、相手のことを理解しようと努めるだけでなく、自分自身についてもあらためて気づかされることがあります。

つまり、対話とは、他者とのやりとりを通して、自分の輪郭をよりはっきりさせていくプロセスであると同時に、相手の考えや感じ方に触れながら、互いに問いの着地点を探っていく営みでもあるのだと思います。

対話がもたらすもの

このような対話を重ねることによって、私たちは広い視点や柔軟なものの見方を身につけることができます。そして、物事の捉え方の選択肢が増えていくことで、より生きやすくなるようにも感じます。狭い考えにとらわれず、他者と共に考えることで、これまで見えなかった可能性に気づくこともあります。

対話は、知識の交換というよりも、価値観や感性の響き合いなのかもしれません。そのような経験は、私たちの内面を豊かにしてくれるものだと思います。

それでも「対話が正しい」と言い切れない理由

けれども、だからといって「対話的であることが常に正しい」とは、私にはまだ自信をもって言い切ることができません。

なぜなら、対話には相手との関係性が不可欠であり、ときには対話が成立しない状況もあるからです。無理に対話を試みることで、かえって心がすり減ってしまうこともあります。また、対話のなかで相手の意見を優先しすぎて、自分の本音を見失ってしまうこともあります。

そのような場面を経験する中で、私は「対話的であること」のもろさや限界にも目を向けるようになりました。

対話を信じるという選択

対話はたしかに大切です。でも、それは常に「正義」ではなく、時と場合によっては距離を取ることも必要なのかもしれません。

それでも私は、やはり対話を信じたいと思っています。対話を通して、自分の中のわからなさや揺らぎと向き合い、他者との違いを知ることで、ほんの少しずつでも世界を理解していける気がするのです。

対話的であるということは、ただ話す・聞くという技術ではなく、自分自身と他者に誠実であろうとする姿勢のように思います。そしてその姿勢は、私たちがよりよく生きるための一つの手がかりになるのではないでしょうか。

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