仏教の教えと「サンガ」
こんにちは。
今日は仏教のお話です。
お釈迦様の教えに、「サンガを持ちなさい。」という教えがあります。
「サンガ」とは僧伽と書き、悟りを目指す僧侶同士の仲間のことです。
お釈迦様は4人以上のサンガを持って修行に励み、悟りを目指しなさい。
と説きました。
現代におけるサンガの重要性
現代でも、その教えが、活きる場面が大いにあると思います。
悟りを目指している方は多くはいないかと思いますが、志があるという方は多いでしょう。
そもそも、悟りを目指すことも一種の志です。
志に向かって邁進する際に、同じ志を持つサンガ(仲間)を持つことがとても重要だと感じます。
サンガの形成
なぜ重要になるのか、考えていきましょう。
お釈迦様は悟りを求めて一人で様々な苦行や修行を行い、最終的に瞑想の中で悟りを開いたと言われています。
しかしながら、お釈迦様は悟りの境地に達した道を振り返り、お弟子に
「私と同じように一人で悟りに達しなさい」と説くことはなかったのです。
そんな中でお釈迦様が弟子に教えを説く際に「サンガ」が形成されたのです。
一人での目標達成とサンガの違い
悟りに達したお釈迦様の言葉には説得力はありますが、それで結論付けてしまっては、もったいないように思います。
一人で目標に向かうのと仲間ともに目指すのは何が違うのでしょうか。
1つは共感があるかないかです。
一人であれば、苦しいとき、その苦しさをわかってくれる人は誰もいません。共感してくれる人もいなければ支えてくれる人もいないのです。
次に学び合いの機会の多さの違いです。
一人であれば自分の信じる道を突き進むのみです。
ですが仲間がいれば、そこに必ず多様性というものが生まれます。
共通の志、目標はあれど、そこに達しようとするアプローチの仕方は人それぞれです。
互いのアプローチの仕方を参考により自分の目標への目指し方を研ぎ澄ませることが出来ます。
サンガを持つということ
これらの違いが、サンガ(仲間)を持つ持たないの大きな差かと思います。
「仲間を持つことが重要なんてことわかり切ったことだ!、持てるもんなら持ちたいよ」
という方がいるかもしれませんが、
私は、サンガを持つのはそんなに難しい事だとは思いません。
それは人は社会に生かされていると言えるからです。
ここで言う『生かされている』とは心臓が動いて呼吸してといった生物学的なことではなく、私たちは誰かの子供であり、孫であり、生徒であったり、同僚であったりといった社会的な関係によって私が私でいられると言えるからです。
そんな中でサンガを意識的に持つのは大変なことではないと思うのです。
(以前縁起について書いた記事もご覧ください。)
サンガの発見と支え合い
例えば家族も同じ幸せを目指すサンガと成りえますし、
学校では生徒同士が学びを目指すサンガです。
仮に病気で引きこもっていて社会的孤立にいたとしても、今はネットに同じ境遇でそこから抜け出したい人を探すこともできます。
捉え方によっていくつものサンガに属することが可能なのです。
同じ志を持ったサンガを見つけ、仲間と共に支え合いながら目標を目指してみませんか。